関西ダンマサークルの報告をさせていただきます。
◆1月23日(日)/マーヤーデーヴィー精舎
9:00~11:15 自主冥想
11:15~11:30 お釈迦さまへお食事のお布施
11:30~13:00 昼休み
13:00~14:30 関西運営会議、アラナ精舎運営委員会
14:30~17:00 勉強会(参加者19名)
今回は 幸福の「縁起」論~無知の「無限軌道」の切断ポイント~
の後半を聴きました。
<今回のお話>
「縁起」には、「なぜそうなるのか」(Why)と、「ではどうすればよいのか」(How)という二つの側面があります。
「Why」の持つ問題点は、前回学習しました。今回は、「How」の問題点について考えてみましょう。
人々は、経験する現象が好まないもの、受け入れたくないものである場合、その状況から抜け出すために、様々な「How」を考えます。
よく見られるのが「神頼み」という方法です。
神を信じれば、懺悔をすれば、先祖供養をすれば、占いをすれば問題は解決するという極限の無知。
一つ一つの問題に合わせたそれぞれの神様にいちいちお願いしなければなりませんから、無数の神が必要になります。
しかしそれでは多すぎて管理できないので、一つの神にまとめてしまったりもします。
いずれにせよその方法は、「How」に対するいい加減な答えでしかありません。
さて、一般的に因果論というと、時間というラインの上で物事を考えます。
原因は過去に存在し、その結果が現在にある、という考え方です。
「タマゴが先かニワトリが先か」という有名な質問は、時間というライン上の始まりは何かを問う問題です。
しかし、その問いは答えがないばかりでなく、真の因果論でもありません。
仏教の因果論では、縁起そのものを観察します。
何かの現象が現れるためには、「原因」だけでなく「条件」も必要ですが、仏教では過度に現象にとらわれることなく、その「原因」と「条件」を観察するのです。
縁起には、時間のライン上での縁起と、その場で同時に起きる縁起があります。
「勉強したから合格できました」というのが前者、「照明があるから本が読める」というのが後者の例です。後者には、時間のずれはありません。
一つの現象が成り立つには、複数の原因と条件が必要です。それらのすべてを発見しなければ、縁起を発見したことにはなりません。縁起の難しさはここにあります。
日常生活そのものも縁起です。
何か問題が起きたら、その原因を明確に知り、それを調整すれば問題は解決します。
しかしそこで気をつけなければならないことは、時間のラインを長く取りすぎないということです。
たとえば30年前の原因を追及しても、意味はありません。30年後の今、すべての条件はすでに変わってしまっていますし、過去を変えることはできません。
管理できるのは「今」だけです。
今起こる現象の、今現在にある原因と条件を探して、明確に発見すること、そしてそれを調整すること。それが問題を瞬時に解決する方法となります。
それは、「How」に対する神秘性のひとかけらもない科学的な答えなのです。
<終わり>
法話の後、法話の内容を基に、資料なども参考にして意見交換をしました。
「今」を大切にして、「今」、善行為をしていくことが、よりよく生きることになるのではないか、という発言が多く聞かれました。
多くの宗教や、俗に言うスピリチュアル系の方々は、過去を重視し、その過去の障害を取りのぞくことによって現在の幸福を得るという考え方をします。
しかし、それは根拠のない、無意味で弊害が多いやり方です。「How」に対するいい加減な答えなのです。
意見交換の中で、「縁起」とは、簡単に言うと何なのでしょうか、という質問が投げかけられました。
また、過去で積んできた業は、結果を出すと聞いているが、それはどう考えたらよいのでしょう、という問いも。
さらに、善行為とは何ですか、という声もありました。
それらの疑問にも、参加された皆さんでいろいろと答えを探していきました。
縁起とは、原因と条件がそろって結果が出る、ということ。原因と条件はその場にある、ということ。
問題を解決するには、その瞬間にある原因と条件を理解しないといけない。それは確かに難しい。
起こってしまったことは変えられない。しかし、これからのことは変えることができる。悪い結果に落ち込むことなく、明るく次にチャレンジすることがいい未来を生む。
原因と結果、すなわち因縁ですべては成り立っているので、それを認識して、注意して行為をしていくことが大切。
そう考えると、善行為とは、様々なものがありますが、少なくとも悪い結果を出さない行為、ということになるのかもしれません。
その話し合いの中で、上司と合わないときや、同僚の不注意により怪我をしたとき、電車内で足を踏まれたとき、などでの、悪い結果を出さない対処法なども話題となりました。
今回は、宝泉寺のご住職にも参加いただき、的確なアドバイスもいただけました。
参加された方の中からは、どうして曹洞宗のご住職が勉強会に参加されているのですか、という質問もありました。
ご住職は、私はお釈迦様の直の教えを学びに来ているのです、と答えられました。
残念ながら、日本の仏教は、お釈迦様の教えを直に伝えてはいません。私はそれをここに学びに来ているのです。他のお寺も、どんどん来ればいいと思います。この精舎はその教えを伝える大切な場所で、勉強会はその教えを勉強する大切な時間です。この場所と時間を、ほんとうに大切にして、維持、発展をさせていきたいと思っています。
そんなお話をしていただきました。
今日学んだことを胸に納めつつ、戒壇堂にて読経、慈悲の瞑想、回向をして終了しました。
★ 次回は2/27(日)にアラナ精舎で行います。ふるってご参加下さい。
生きとし生けるものが幸せでありますように。
N. G