関西ダンマサークルの報告をさせていただきます。
◆5月23日(日)/アラナ精舎
9:00~12:00 自主冥想
12:00~13:00 昼休み
13:00~13:30 関西運営会議
13:30~17:20 勉強会 参加者15名
今回は“「決断」は、「智慧」で下せ!~誰にも聞けない「答え」を、自分で出すために”
の後半部分を聞きました。
<前回のまとめ>
私達は「本能」「感情」「知識」で物事を判断していますが、これらで下す判断は曖昧なものです。ブッダの教えを参考にして判断能力を身につけるには、「道徳と戒律を守る」ことが基準になります。人とコミュニケーションを取りながら五戒を守ることに挑戦して、社会、学校、会社で良い判断をしましょう。
<今回>
世間では善悪の区別も一時的に感情によって決められています。
仏教には十善十悪があって、十善に従うように気をつけると、自ずから正しい判断に達します。
十善と十悪は対になっていて、体の行為が3つ、口の行為が4つ、心の行為が3つあります。
<体の行為>
体の善行為に従うと自我中心でなくなり、他人に迷惑をかけないように気をつけるので、頭がよくなります。
① (悪)殺生 ⇔(善)生命を慈しむ
② (悪)偸盗 ⇔(善)他人の財産を守って、自分の力で合法的に収入を得る
③ (悪)五欲に溺れる ⇔(善)五欲を楽しむ時、度を知って楽しむ
相手の人権を守る、また自分を守るように気をつける
<口の行為>。
言葉の戒律を守っただけで、理性と智慧が現われます。言葉に責任を持てない場合は、我々に判断能力がないということです。また判断能力がないだけでなく、判断する権利もなくなります。
④ (悪)嘘をつく ⇔(善)真実、事実を語る
⑤ (悪)粗悪語 ⇔(善)優しい、心に残る、気持ちを穏やかにするように語る
⑥ (悪)噂・離間語 ⇔(善)平和の為に、仲良くする目的で話す
⑦ (悪)綺語・無駄話 ⇔(善)人の役に立つ有意義な言葉を語る
聞く人の勉強に、理解に寄与する情報を語る
<心の行為>
心の悪行為をまとめて「妄想」という一言葉で説明出来ます。世の中で見る悪のうち、体と口の悪行為はわりと少ないし、それほど酷いものではありません。ですが、心の悪行為は多いしすごく危険です。なぜなら「妄想」があると判断できなくなるのです。
⑧ (悪)貪・異常な欲 ⇔(善)あり得ない、度を超えた欲にふけらない
⑨ (悪)瞋・異常な怒り ⇔(善)生命を慈しむ心を中心に生きてみる
⑩ (悪)痴・感情的な見解 ⇔(善)客観的に調べてから判断する
10番目の悪(=邪見、無明、無知)があると、心はありのままに現実を認識しません。それで一切の思考、行為が変な方向に行ってしまいます。この邪見が全ての悪の元で、邪見がなくなると完璧な良い人間になります。邪見は冥想で治します。
邪見が無くなって智慧(=正見・サンマーディッティー)が現われると、ありのままに真理、事実を発見出来るので、心はなんでも判断できます。判断する必要もなくもう知っています。
智慧を育てるには
① お釈迦様の説いた真理の教えは「私の生き方」を語っています。真理の教えを理解して、それを参考に自己、自分の怒り嫉妬などを観察する。また人は怒って何をするかなど外の世界も観察する。
こうすると自分が管理できない悪感情が消えて、智慧が現われます。性格、人格が向上しているなら智慧が現われています。
② 正見の実践。お釈迦様の説かれた道徳を理解して守る。善因善果、悪因悪果という業の法則に従って生きてみる。
過去生を知らなくても、今悪感情が減れば、自然に正しい判断が出来るようになります。
人格者になるのに時間はかかるけれど、やりやすい方法。
③ 因果法則を理解するとその時点で、一切は「無常、苦、無我」であると理解するとその時点で、四聖諦が真理だと理解するとその時点で、智慧が現われます。
これらには自己観察、ヴィパッサナーで達することが出来ます。
あと、一般的に理性のある知識人にも智慧があると思ってしまいますが、知識は決断の障害になることがあります。理性や知識によって貪瞋痴が減って人格が向上しているのなら智慧が現われています。
実際のところ一切は無常なので、人の判断というのはそれほど長持ちしません。それでも真理に近いほど長持ちします。感情、無知、自我の判断だとその場で不幸の結果を起こします。
ダンマがお釈迦さまのおこなった普遍的な、絶対に変わらない最終判断ですから、仏教を学ぶことが良い判断、智慧で判断する一番の近道になります。
<法話終了>
法話のあと、日々どのような基準で判断しているか、邪見で下す判断がどのようなもので、どんな結果になるのかなどについて、資料も参考にしながらディスカッションしました。
勉強会のあと回向して終了。
生きとし生けるものが幸せでありますように YO