小部経典11:ブッダヴァンサ


阿羅漢にして 正自覚者たる かの世尊に 礼拝し奉る

 ブッダヴァンサ聖典(仏種姓経)

1 宝玉の歩行場の部

1.(1) しかして、世の支配者にして娑婆の主たる梵〔天〕(ブラフマー神)は、合掌を為し、優れ勝る者なき方(ブッダ)に乞い求めた。「ここ(現世)に、塵少なき生まれの有情たちが存在します。法(教え)を説示してください。この人々を慈しんでください」〔と〕。

2.(2) 明知と行ないの成就者たる如なる方(ブッダ)に、光輝を保ち最後の肉身“からだ”を保つ方に、対する人なき如来に、一切の有情にたいする慈悲〔の思い〕が生起した。

3.(3) 「まさに、これらの天〔の神々〕を含む人間たちは知らない。最上の人たる者が、この覚者が、どのような者であるか――神通の力が、そして、知慧の力が、どのようなものであるか――世の利益となる者の〔力が〕、覚者の力が、どのようなものであるか――〔ということを〕。

4.(4) まさに、これらの天〔の神々〕を含む人間たちは知らない。最上の人たる者は、この覚者は、このような者である――神通の力は、そして、知慧の力は、このようなものである――世の利益となる者の〔力は〕、覚者の力は、このようなものである――〔ということを〕。

5.(5) さあ、わたしは見示するであろう――無上なる覚者の力を。造作するであろう――宝玉で装飾された歩行場を、天空において」〔と〕。

6.(6) 地上の大王たち、三十三〔天の天神〕たち、しかして、耶麻天〔の天神〕たち、かつまた、兜率〔天の天神〕たち、化作〔天の天神〕たち、他化〔天の天神〕たち、さらには、また、彼ら、梵の衆(梵天衆)たちは、〔全てが〕歓喜の者たちとなり、広大なる音声を作り為した(歓喜の声を挙げた)。

7.(7) しかして、天〔界〕を含む地は、光り輝くところと〔成った〕。さらには、世〔界〕の間にある、多々なる統御なき〔世界〕(地獄)も。しかして、そのとき、漆黒の闇は、打破されたものと成った――〔世尊の〕稀有なる神変を見て。

8.(8) 天〔界〕を含むガンダッバ(音楽神)や人間や羅刹〔の世界〕において、広大にして巨万の輝きが生じた。この世において、そして、他〔世〕において、〔すなわち〕両者において、しかして、下に、上に、さらには、横に、幅広く。

9.(9) 最上の有情たる方は、優れ勝る者なき方は、〔世の〕導き手たる教師は、天〔の神〕や人間に供養される方として、〔世に〕有った。偉大なる威力ある方は、百の功徳の特相ある方は、稀有なる神変を見示した。

10.(10) 彼は、優れた天〔の神〕(梵天)に乞い求められた眼“まなこ”ある方は、そのとき、最上の人たる方は、義(目的)を〔あるがままに〕注視して、世の導き手は、歩行場を造作した――見事に仕立てられた〔歩行場〕を――全てが宝玉で化作された〔歩行場〕を。

11.(11) しかして、神通、指摘(読心)、教示という、三つの神変において、世尊は、自在なる者として、〔世に〕有った。世の導き手は、歩行場を造作した――見事に仕立てられた〔歩行場〕を――全てが宝玉で化作された〔歩行場〕を。

12.(12) 十千世界における最上のものたるシネール(須弥)の山々を、次第次第に、柱であるかのように見示した――宝玉製の歩行場において。

13.(13) 十千〔世界〕を超え行って、勝者は、歩行場を造作した――側〔面〕には、全てが黄金製〔の手すり〕が〔化作された〕――宝玉製の歩行場において。

14.(14) 均等の結束が群れとなり、黄金の延べ板が敷かれ、全てが黄金の手すりが、両側に化作された。

15.(15) 〔すなわち〕宝珠と真珠の砂礫をちりばめたものとして。化作された宝玉製〔の歩行場〕は、一切の方角を照らす――百光が昇ったかのように。

16.(16) その歩行場に、慧者(ブッダ)は、三十二の優れた特相ある方はある。〔十千世界に〕遍照しながら、正覚者は、勝者は、歩行場において歩行した。

17.(17) 天の曼陀羅花を、蓮華を、珊瑚樹を、一切の天〔の神々〕たちが集いあつまり、歩行場に振りまく。

18.(18) 十千〔世界〕の天〔の神々〕たちの群れは、歓喜し、彼(ブッダ)を見る。満足し笑喜し、歓喜の者たちとなり、〔世尊を〕礼拝しながら、〔その場に〕平伏する。

19.(19) しかして、三十三〔天の天神〕たち、かつまた、耶麻〔天の天神〕たち、さらには、また、兜率〔天〕の天神たち、化楽天〔の天神〕たち、自在天〔の天神〕たちは、彼らは、心が躍り上がり、悦意の者たちとなり、世の導き手を見る。

20.(20) 天〔の神々〕を含むガンダッバ(音楽神)や人間や羅刹たち、龍たち、金翅鳥たちは、しかして、あるいは、また、キンナラ(精霊)たちは、天空に屹立する円月のような彼を、世の利益となる方を、慈しみある方を、見る。

21.(21) 光音〔天の天神〕たち、遍浄〔天の天神〕たち、広果〔天の天神〕たち、さらには、有頂〔天〕の天神たちは、極清浄の白衣をまとい、合掌を為し、〔その場に〕立つ。

22.(22) さてまた、栴檀の細片を混ぜ合わせた、五色の曼陀羅花を解き放つ。しかして、そのとき、宙においては、諸々の衣を振り回す。「ああ、勝者です。世の利益となる方です。慈しみある方です。

23.(23) あなたは、しかして、教師です。しかして、幟です。旗です。さらには、生あるものたちの支柱です。行き着く所です。しかして、依拠です。しかして、灯明です。最上の二足者たる方です」〔と〕。

24.(24) 十千世界における天神たち、大いなる神通ある者たちは、満足し笑喜し、歓喜の者たちとなり、〔世尊を〕取り囲んで、礼拝する。

25.(25) 天神たちは、そして、天女たちは、清らかな信ある者たちとなり、満足の意“おもい”ある者たちとなり、人のなかの雄牛たる方(ブッダ)を、五色の花々によって供養する。

26.(26) 天〔の神々〕たちの群れは、彼を見る。清らかな信ある者たちとなり、満足の意ある者たちとなり、人のなかの雄牛たる方を、五色の花々によって供養する。

27.(27) 「ああ、世における稀有なることです。未曾有のことです。〔大いなる歓喜に〕身の毛のよだつことです。このような稀有なること、〔大いなる歓喜に〕身の毛のよだつことは、過去に有ったことがありません」〔と〕。

28.(28) 天神たちは、各自の居所に坐して、彼らは、大笑いに笑喜する――天空において、稀有なることを見て。

29.(29) しかして、虚空に依って立つ者たちは、地に依って立つ者たちは、草路に住む者たちは、満足し笑喜し、歓喜の者たちとなり、合掌を為し、礼拝する。

30.(30) 功徳あり、大いなる神通ある、長き寿命の龍たちは、彼らもまた、歓喜し、最上の人たる方を、礼拝し、供養する。

31.(31) 諸々の合誦〔の声〕を転起させる――宙において、曲がりなき風のなか。諸々の皮太鼓を奏でる――天空において、稀有なることを見て。

32.(32) しかして、諸々の法螺が、まさしく、さらには、諸々の銅鼓が、しかして、また、多くの小鼓が、空中において、奏でられる――天空において、稀有なることを見て。

33.(33) 「まさに、未曾有のことが、〔大いなる歓喜に〕身の毛のよだつことが、今日、わたしたちに起きました。常久なる義(目的)の成就を、〔わたしたちは〕得るのです。瞬時に実践されたのものとして、わたしたちに」〔と〕。

34.(34) 「覚者です」という、彼らの〔声を〕聞いて、まさしく、ただちに、喜悦が生起した。「覚者です」「覚者です」と、〔声を〕発しながら、合掌を為し、〔彼らは〕立つ。

35.(35) 諸々の感嘆〔の声〕を為し、かつまた、諸々の善哉“よきかな”〔の声〕を為し、叫喚と歓喜〔の声〕を、しかして、様々な種類の人々が、空において合掌を為し、転起させる。

36.(36) 〔彼らは〕歌い、しかして、囃し、かつまた、奏でる。さらには、〔両の〕手を打ち、しかして、舞う。さてまた、栴檀の細片を混ぜ合わせた、五色の曼陀羅花を解き放つ。

37.(37) 「偉大なる勇者よ、あなたの〔両の〕足には、輪の特相があり、旗と金剛と幡があり、卍の鉤で被われているように――

38.(38) 形姿(色)において、戒において、〔心の〕統一(定)において、さらには、知慧(慧)において、同等の者なき方であり、解脱において、法(真理)の輪を転起させること(転法輪)において、同等の者も同等ならざる者もなき方である〔ように〕――

39.(39) あなたの身体には、〔生来の〕性向の力として、十象の力があり、神通の力では同等の者なき方であり、法(真理)の輪を転起させることにおいて〔同等の者なき方であるように〕――

40.(40) このように、一切の徳(属性)を具し、一切の支分を完備した、偉大なる牟尼を、慈悲ある方を、世の主“あるじ”を、礼拝せよ。

41.(41) 敬礼を、しかして、賛嘆を、かつまた、敬拝を、賞賛を、さらには、礼拝を、なおかつ、供養を、あなたは、〔その〕全て〔を受ける〕に値する。

42.(42) 彼らが誰であれ、世において、敬拝されるべき者たちとしてあり、彼らが敬拝に値するとして、偉大なる勇者よ、〔その〕全てのなかの最勝者であるとして、あなたと同等の者は見い出されない」〔と〕。

43.(43) 〔心の〕統一(定)と瞑想(禅)の熟知者にして、大いなる知慧あるサーリプッタは、まさしく、ギッジャクータ(霊鷲山)に立ち、世の導き手(ブッダ)を見る。

44.(44) あたかも、美しく花ひらいたサーラ〔樹〕の王のような方を、空における月のような方を、日中の太陽のような方を、人のなかの雄牛たる方を、眺めた。

45.(45) 燃え盛る灯明台のような方を、立ち昇った若き太陽のような方を、〔一〕ヴヤーマ(尋:長さの単位・一ヴヤーマは約二メートル)の光に染まった慧者を、世の導き手を、見る。

46.(46) 五百の比丘たちを、為すべきことを為した者たちを、如なる者たちを、煩悩の滅尽者たちを、〔世俗の〕垢を離れる者たちを、瞬時に集めた。

47.(47) 「ローカッパサーダナ(世界の浄化)という名の神変を、〔世尊が〕実示されました。わたしたちもまた、そこに行って、わたしたちの勝者を敬拝するのです。

48.(48) さあ、〔わたしたちの〕全ての者たちが行くのです。わたしたちは、勝者に問い尋ねるのです。疑念を取り除くのです。世の導き手を見て」〔と〕。

49.(49) 彼らは、賢明にして〔感官の〕機能(根)が統御された者たちは、「善きかな」と答えて、鉢と衣料を取って、〔先を〕急ぎつつ〔世尊のもとへと〕近づき行った。

50.(50) 煩悩の滅尽者たちとともに、〔世俗の〕垢を離れる者たちとともに、最上の調御における調御者たちとともに、大いなる知慧あるサーリプッタは、神通によって〔世尊に〕近しく赴いた。

51.(51) それらの比丘たちに取り囲まれた、大いなる衆師たるサーリプッタは、天〔の神〕が空にあって戯れているかのように、神通によって〔世尊に〕近しく赴いた。

52.(52) しかして、善き掟“おこない”の者たちは、咳払いとくしゃみに気をつけて、尊重〔の思い〕を有し敬虔〔の思い〕を有する者たちは、正覚者に近しく赴いた。

53.(53) 近しく赴いて、〔彼らは〕見る――〔他に依らず〕自ら有る方を、世の導き手を、天空に屹立する慧者を、あたかも、空における月のような方を。

54.(54) あたかも、燃え盛る灯明台のような方を、空における雷光のような方を、日中の太陽のような方を、世の導き手を、〔彼らは〕見る。

55.(55) 五百の比丘たちは、〔その〕全てが、世の導き手を見る。あたかも、清らかな湖のような方を、美しく花ひらいた蓮華〔のような方〕を。

56.(56) 合掌を差し出して、満足し笑喜し、歓喜の者たちとなり、〔世尊を〕礼拝しながら、〔その場に〕平伏する――教師の、輪の特相ある〔足〕のもとにて。

57.(57) 大いなる知慧あるサーリプッタは、コーランダ〔花〕に等しく同等なる方は、〔心の〕統一と瞑想に巧みな智ある方は、世の導き手を敬拝する。

58.(58) 鳴り響く黒雲のような方にして、青蓮に等しく同等なる方、大いなる神通あるモッガッラーナは、神通の力では同等の者なき方である。

59.(59) しかして、マハーカッサパ長老もまた、熱せられた黄金に似た方にして、払拭〔行〕(頭陀)の徳において至高〔の地位〕に置かれ、賛嘆され、教師に褒め称えられた方である。

60.(60) 天眼者たちのなかの、〔まさに〕その、至高の者たる方、アヌルッダは、大いなる衆師にして、世尊の最勝の親族たる方であり、まさしく、遠からざるところに立つ。

61.(61) 罪と罪なきにおける、可癒“いやし”〔の道〕における、熟知者たる方、ウパーリは、律において至高〔の地位〕に置かれ、教師に褒め称えられた方である。

62.(62) 微細にして精緻なる義(道理)を理解し、言説者たちのなかの最も優れた衆師たる方、聖賢マンターニの子は、プンナという名の者として、〔世に〕聞こえた方である。

63.(63) これらの方たちの心を了知して、喩えに巧みな智ある牟尼は、疑いを断ち切った偉大なる勇者は、自己の徳を言説した。

64.(64) 「有情の衆と、虚空、終極なき諸々のチャッカ・ヴァーラ(輪囲山・鉄囲山:世界の周辺にあって世界を囲んでいる山)と――それらは、〔量としては〕四つのアサンケイヤ(阿僧祇:無限大の数値)となり、それらの突端は知られることがないとして、これらは、無量なる覚者の知恵を識知することはできない。

65.(65) 〔まさに〕その、わたしの神通の変異であるが、どうして、これが、世における、稀有なることであろう。他に多くの稀有なることがあり、未曾有のことがあり、身の毛のよだつことがある。

66.(66) わたしが、兜率〔天〕の衆のうちにあるとき、わたしは、サントゥシタという名であり、そのとき、十千〔世界の天の神々〕たちが集いあつまって、合掌し、わたしに乞い求める。

67.(67) 『偉大なる勇者よ、まさに、あなたの時が〔来ました〕。母の子宮のうちに生起してください。天〔界〕を含む〔世の人々〕を〔彼岸へと〕超え渡しつつ、不死の境処をお覚りください』〔と〕。

68.(68) 兜率〔天〕の衆から死滅して、〔母の〕子宮に入ったとき、そのとき、十千世界が、大地が、揺れ動いた。

69.(69) わたしが、まさしく、正知の者として、母の子宮から出たとき、『善きかな』の歓呼を転起させ、十千〔世界〕が揺れ動いた。

70.(70) わたしの入〔胎〕と同等の者は存在せず、出生から離欲において〔同等の者は存在せず〕、わたしは、正覚における最勝者であり、法(真理)の輪を転起させることにおける〔最勝者である〕。

71.(71) ああ、世における、稀有なることである。覚者たちの徳の偉大なることは。十千世界は、六つの流儀に揺れ動いた。しかして、大いなる光が存在した。稀有なることである。身の毛のよだつことである」〔と〕。

72.(72) 世尊は、その時における、世の最尊者たる方にして、人のなかの雄牛たる方であり、天〔界〕を含む〔世の人々〕に、〔覚者の力を〕見示しつつ、勝者は、神通によって歩行した。

73.(73) 歩行場において、まさしく、歩行しつつ、世の導き手は言説した。途中から戻ることなく、四ハッタ(長さの単位・一ハッタは約五十センチ)の歩行場にあるかのように。

74.(74) 〔心の〕統一(定)と瞑想(禅)の熟知者にして、大いなる知慧あるサーリプッタは、知慧の最奥義(波羅蜜)を得た方は、世の導き手に問い尋ねる。

75.(75) 「偉大なる勇者よ、最上の人たる方よ、あなたの決断は、どのようなものですか。慧者よ、どのような時に、あなたの最上の覚り(菩提)が切望されたのですか。

76.(76) 布施は、しかして、戒は、離欲は、知慧は、さらには、精進は、どのようなものですか。忍耐は、真理は、〔心の〕確立は、慈愛(慈)は、しかして、放捨(捨)は、どのようなものですか。

77.(77) 慧者よ、世の導き手よ、あなたによって〔為された〕十の最奥義は、どのようなものですか。どのようにして、諸々の近小の〔最奥義〕が満たされたのですか。どのようにして、最高の義(勝義:涅槃)の最奥義が〔満たされたのですか〕」〔と〕。

78.(78) 問い尋ねられた〔世尊〕は、カラヴィーカ〔鳥〕の甘美な鳴き声で、彼に説き示した――〔彼らの〕心臓(心)を寂滅させつつ、天〔界〕を含む〔世の人々〕を笑喜させつつ。

79.(79) 過去の覚者たる勝者たちの説示したものは、遊楽のものにして、覚者によって他〔世〕から他〔世〕へと伝えられて来たものである。〔世尊は〕過去の居住(過去世)に従い行く覚慧によって、天〔界〕を含む〔世の人々〕にたいし、世の利益を明示した。

80.(80) 「喜悦と歓喜を生むものを、憂いの矢を取り除くものを、一切の得達の獲得を、心を為して、わたしの〔述べるとことを〕聞け。

81.(81) 驕慢の削除を、憂いの除去を、輪廻の完全なる解放を、一切の苦痛の滅尽を、〔聖者の〕道を、謹んで実践せよ」〔と〕。ということで――

 宝玉の歩行場の部は、〔以上で〕終了した。

2 スメーダの切望の物語

1(82) しかして、四つのアサンケイヤ(阿僧祇:無限大の数値)、および、百千カッパ(劫:時間の単位・無限大の時間)〔の過去〕において、アマラという名の城市が〔有った〕。美しく、意“こころ”が喜びとする〔城市〕として。

2.(83) 十〔種〕の音声から遠離することなき〔城市〕として。食べ物と飲み物が集結する〔城市〕として。象の音声、馬の音声、さらには、太鼓と法螺貝〔と歌声と鐃(シンバル)と銅鑼と琵琶〕と車〔の音声〕が、まさしく、しかして、「喰えよ」「飲めよ」〔と〕、食べ物と飲み物によって立てられた〔音声〕が、〔常に鳴り響く、そのような城市として〕。

3.(84) 城市は、全ての部分が成就し(施設・設備が完備し)、全ての行為“なりわい”(経済活動)を具し、七つの宝が成就し、種々なる人が群れ溢れ、天の城市のように富み栄えていた。功徳の行為者たちの居住するところとして。

4.(85) アマラヴァティーの城市において、〔わたしは〕スメーダという名の婆羅門として、〔世に有った〕。幾千万の蓄積“たくわえ”ある者として、巨万の財産と穀物ある者として。

5.(86) 〔聖典の〕読誦者にして呪文の保持者として、三つのヴェーダの奥義に至る者として。特相(占相術)において、かつまた、古伝において、自らの法(教え)において、最奥義に至った者として。

6.(87) 静所に赴き、坐して、そのとき、わたし(スメーダ)は、このように思い考えた。「さらなる生存(再生)は、まさに、苦である。しかして、肉体の破壊(死滅)も、〔まさに、苦である〕。

7.(88) 生の法(性質)ある者であり、老の法(性質)ある者であり、病の法(性質)ある者である、〔まさに〕その、わたしは、そのとき、不老にして不死なる平安〔の境地〕を、寂滅〔の境地〕を、遍く探し求めるであろう。

8.(89) それなら、さあ、種々なる死骸に満たされた、この腐敗の身体を、捨てて行くのだ。〔一切に〕期待なく、義(目的)なき者として。

9.(90) その道は存在し、有るであろう。それは、有らずにあることができないのだ。その道を、〔わたしは〕遍く探し求めるであろう。生存(有)からの遍き解き放ちのために。

10.(91) また、苦が見い出されているとき、まさに、楽もまた、見い出されるように、このように、生存が見い出されているとき、生存から離れることもまた、求められるべきものとなる。

11.(92) また、暑さが見い出されているとき、他に、涼やかなところが見い出されるように、このように、三種類の火(貪・瞋・痴)が見い出されているとき、涅槃は、求められるべきものとなる。

12.(93) また、悪が見い出されているとき、善もまた見い出されるように、まさしく、このように、生が見い出されているとき、生なきもまた、求められるべきものとなる。

13.(94) 糞のなかに堕ちた人が、〔清水で〕満たされた池を見て、その池を求めないのは、それは、池の汚点ではないように――

14.(95) このように、諸々の〔心の〕汚れ(煩悩)と〔世俗の〕垢を洗い清めている者が、不死の池が見い出されているとき、その池を求めないのは、不死の池における汚点ではない。

15.(96) 諸々の敵によって遍く包囲された者が、去り行く道が見い出されているとき、その人が逃げないのは、それは、曲がりなき〔道〕の汚点ではないように――

16.(97) このように、諸々の〔心の〕汚れによって遍く包囲された者が、至福の道が見い出されているとき、その道を求めないのは、曲がりなき至福〔の道〕における汚点ではない。

17.(98) また、病んだ人が、医師が見い出されているとき、その病を治療させないのは、それは、医師における汚点ではないように――

18.(99) このように、諸々の〔心の〕汚れの病によって遍く責め苛まれ苦しんでいる者が、その師匠を求めないのは、それは、導き手における汚点ではない。

19.(100) また、人が、首に結び縛られた死骸を忌避して、安楽ある独存の自在者となり、解き放って行くであろうように――

20.(101) まさしく、そのように、種々なる死骸の積み重ねである、この腐敗の身体を、捨てて行くのだ。〔一切に〕期待なく、義(目的)なき者として。

21.(102) 便所に糞を、男や女たちが、〔一切に〕期待なく、義(目的)なき者たちとして、捨てて行くように――

22.(103) まさしく、このように、わたしは、種々なる死骸に満たされた、この腐敗の身体を、捨てて行くであろう。便を為して、小屋を〔去る〕ように。

23.(104) また、老朽し破損し浸水する舟を、〔舟〕主たちが、〔一切に〕期待なく、義(目的)なき者たちとして、捨てて行くように――

24.(105) まさしく、このように、わたしは、九つの穴があり、〔不浄物が〕常に漏れ出る、この身体を、捨てて行くであろう。老い朽ちた舟の所有者たちのように。

25.(106) また、人が、物品を〔手に〕取って、盗賊たちとともに行きつつあるなら、物品を切断する恐怖を見て、〔彼らを〕捨てて行くように――

26.(107) まさしく、このように、この身体は、大盗賊と等しきかのようなものにして、善を切断する恐怖あることから、これを捨棄して、〔わたしは〕行くであろう」〔と〕。

27.(108) わたしは、このように思い考えて、幾百千万の財産を、富裕の者や貧窮の者たちに施して、ヒマヴァント(ヒマラヤ)へと近づき行った。

28.(109) ヒマヴァントから遠からざるところに、ダンミカという名の山があり、美しく作り為された草庵が、美しく造作された柴小屋が、わたしに〔有った〕。

29.(110) そこにおいて、〔瞑想のための〕歩行場を、五つの汚点を避けたものとして、八つの徳(属性)を具完したものとして、〔わたしは〕造作し、神知の力を将来した。

30.(111) そこにおいて、九つの汚点を具した衣を捨棄し、十二の徳を具した樹皮の衣を着衣した。

31.(112) 八つの汚点に取り囲まれた柴小屋を捨棄し、十の徳を具した木の根元へと近づき行った。

32.(113) 〔種を〕蒔かれ〔人の手で〕育てられた穀物を残りなく捨棄し、無数の徳を成就し〔自然に〕転起した〔野生の〕果実を取った。

33.(114) 坐すことと立つことと歩むことにおいて、そこにおいて、〔刻苦の〕精励を精励し、七日以内に、神知の力を得た。

34.(115) このように、わたしが神通を得たとき、教えにおける自在者と成ったとき、ディーパンカラという名の勝者が、世の導き手が、〔世に〕生起した。

35.(116) しかして、〔彼が〕生起し、生まれ、覚り、法(教え)を説示しているとき、瞑想の喜びに引き渡された〔わたし〕は、〔彼の〕四つの形相を見なかった(気づかなかった)。

36.(117) 〔人々は〕辺境の地の境域に如来を招いて、満足の意ある者たちとなり、彼の至り来る道を清める(清掃し整備する)。

37.(118) その時のこと、わたしは、自らの草庵を出て、諸々の樹皮の衣を打ち振るわせながら、宙を行くが、そのとき――

38.(119) 満足し笑喜し、歓喜の者となり、感嘆〔の思い〕が生じた、〔大勢の〕人を見て、空から降りて、まさしく、ただちに、人間たちに問い尋ねた。

39.(120) 「満足し笑喜し、歓喜の者となり、感嘆〔の思い〕が生じた、大勢の人がいます。誰のために、道は清められるのですか。曲がりなく至らしめる道として」〔と〕。

40.(121) 彼らは、わたしに問い尋ねられた者たちは、説き示した。「覚者です。世における無上なる方です。ディーパンカラという名の勝者が、世の導き手が、〔世に〕生起しました。彼のために、道は清められます。曲がりなく至らしめる道として」〔と〕。

41.(122) 「覚者です」という、〔その〕言葉を聞いて、まさしく、ただちに、喜悦が生起した。「覚者です」「覚者です」と、〔声を〕発しながら、〔わたしは、彼らに〕悦意を知らせた。

42.(123) そこに立って、〔わたしは〕熟慮した。満足し、畏怖の意“おもい”ある者として。「ここに、諸々の〔功徳の〕種を育てるのだ。まさに、〔いかなる〕時節であろうが、〔無駄に〕過ぎ行くことがあってはならない(瞬時でさえも、虚しく過ごしてはならない)」〔と〕。

43.(124) 「〔あなたたちが〕覚者のために〔道を〕清める、というのなら、わたしに、一つの箇所を与えてください。わたしもまた、〔道を〕清めます。曲がりなく至らしめる道として」〔と〕。

44.(125) 曲がりなく清めるべき、わたしの箇所を、彼らが与えてくれた、そのとき、「覚者です」「覚者です」と思い考えながら、わたしが、道を清める、そのとき――

45.(126) わたしの箇所が〔清め〕終わらないうちに、偉大なる牟尼たるディーパンカラは、四の百千の者たちとともに、六つの神知(六神通:宿命通・天眼通・他心通・天耳通・神足通・漏尽通)ある者たちとともに、如なる者たちとともに、煩悩の滅尽者たちとともに、〔世俗の〕垢を離れる者たちとともに、勝者は、曲がりなき〔道〕を行った(歩み始めた)。

46.(127) 諸々の出迎え〔の波〕が転起し、多くの太鼓が奏でられる。歓喜した人や神たちは、「善きかな」の歓呼を転起させた。

47.(128) 天〔の神々〕たちは、人間たちを見る。さらには、人間たちもまた、天神たちを〔見る〕。彼らは、両者ともどもに、合掌し、如来に従い行く。

48.(129) 天〔の神々〕たちは、諸々の天の楽器によって、そして、人間たちは、諸々の人間の〔楽器〕によって、彼らは、両者ともどもに、奏でつつ、如来に従い行く。

49.(130) 天の曼陀羅花を、蓮華を、珊瑚樹を、虚空と天空を行く神たちは、方々に振りまく。

50.(131) しかして、天の栴檀の細片を、さらには、優れた香りあるもの全部を、虚空と天空を行く神たちは、方々に振りまく。

51.(132) チャンパカ〔の花〕を、サララ〔の花〕を、ニーパ〔の花〕を、ナーガ〔の花〕やプンナーガ〔の花〕やケータカ〔の花〕を、地面を行く人たちは、方々に投げ上げる。

52.(133) わたしは、その場に、諸々の髪を解き放って、しかして、樹皮の衣を、皮〔の衣〕を、泥のうえに広げて、〔身を〕投げ出し、わたしは、横たわった。

53.(134) 「覚者は、わたしを踏みしめて、弟子たちと共に行ってください。泥のうえを踏みしめることがあってはなりません。それは、わたしの利益のためと成りましょう」〔と〕。

54.(135) 地に横たわったわたしの心に、このような〔思いが〕存した。「〔それを〕求めるなら、わたしは、今日、わたしの諸々の〔心の〕汚れ(煩悩)を焼き尽くすであろう。

55.(136) 姿を知られることなく、ここに、法(真理)を実証したとして、わたしにとって、何になるというのだろう。一切知者たることを得て〔そののち〕、天〔界〕を含む〔世〕において、〔わたしは〕覚者と成るのだ。

56.(137) 独りで超え渡ったとして、強さを見示する人士であるとして、わたしにとって、何になるというのだろう。一切知者たることを得て〔そののち〕、天〔界〕を含む〔世の人々〕を〔彼岸へと〕超え渡すのだ。

57.(138) 最上の人士たる方(ディーパンカラ)にたいして為された、わたしの、この献身によって、一切知者たることを得て〔そののち〕、多くの人民を〔彼岸へと〕超え渡すのだ。

58.(139) 輪廻の流れを断ち切って、三つの生存を砕破して、法(真理)の舟に乗って、天〔界〕を含む〔世の人々〕を〔彼岸へと〕超え渡すのだ。」〔と〕。

59.(140) 人間たること、徴表の得達(男性に生まれること)、〔菩提の〕因、教師に相見“まみ”えること、出家、徳の得達、さらには、〔覚者への〕献身、〔涅槃への〕欲〔の思い〕(意欲)あること、〔これらの〕八つの法(性質)の結集あるがゆえに、〔成道への心の〕導引は実現する。

60.(141) 世〔の一切〕を知る方たるディーパンカラは、諸々の捧げものの納受者たる方は、わたしの頭の側に立って、この言葉を説いた。

61.(142) 「見よ――この苦行者を、烈苦する結髪者を。これよりのち、量るべくもないカッパ(劫:時間の単位・無限大の時間)において、世における覚者と成るであろう。

62.(143) ああ、カピラという呼び名ある喜ばしき〔都〕から出て、如来は、〔刻苦の〕精励を精励して、為すに為し難きことを為して――

63.(144) アジャパーラ樹の根元に坐して、如来は、そこにおいて、粥を受けて、ネーランジャラー〔川〕へと近づき行くであろう。

64.(145) ネーランジャラー〔川〕の岸辺で、その勝者は、粥を食したあと、〔見事に〕整備された優美なる道をとおり、菩提〔樹〕の根元へと近づき行くであろう。

65.(146) そののち、菩提道場に右回り〔の礼〕を為して、無上なる者は、偉大なる福徳ある者は、アッサッタ樹(菩提樹)の根元において覚るであろう。

66.(147) この者の生みの母は、マーヤーという名の者と成るであろう。父は、スッドーダナという名の者と〔成るであろう〕。この者〔の姓〕は、ゴータマと成るであろう。

67.(148) 煩悩なく、貪欲を離れ、寂静心の者たちにして、〔心が〕定められた者たち、コーリタ(マハーモッガッラーナ)、および、ウパティッサ(サーリプッタ)が、至高の弟子たち(二大弟子)と成るであろう。アーナンダという名の奉仕者(侍者)が、この勝者に奉仕するであろう。

68.(149) ケーマー、および、ウッパラヴァンナーが、至高の女弟子たちと成るであろう。煩悩なく、貪欲を離れ、寂静心の者たちにして、〔心が〕定められた者たちとして。その世尊の菩提〔樹〕は、『アッサッタ』と呼ばれる。

69.(150) チッタ、および、ハッターラヴァカが、至高の奉仕者たちと成るであろう。ウッタラー、および、ナンダの母が、至高の女奉仕者たちと成るであろう」〔と〕。

70.(151) 同等の者なき方(ディーパンカラ)の、偉大なる聖賢の、この言葉を聞いて、歓喜した人や神たちは〔言った〕。「この方(ゴータマ・ブッダ)は、まさに、覚者の種子です」〔と〕。

71.(152) 諸々の叫喚の音声“おんじょう”が転起する。〔彼らは〕拍手し、かつまた、笑喜する。十千〔世界〕の天〔の神々〕を含む者たちは、合掌を為し、礼拝する。

72.(153) 「世の主“あるじ”たるこの方(ディーパンカラ)の教えを、〔わたしたちが〕亡失することになる、というのなら、未来の時において、〔わたしたちは〕この方(ゴータマ・ブッダ)の面前に有るでしょう。

73.(154) 川を超え渡っている人間たちが、対岸を亡失して〔そののち〕、下流の渡し場を収め取って、大河を超え渡るように(場を変えて渡河するように)――

74.(155) まさしく、このように、わたしたちの全てが、この勝者を逸し去る、というのなら、未来の時において、〔わたしたちは〕この方の面前に有るでしょう」〔と〕。

75.(156) 世〔の一切〕を知る方たるディーパンカラは、諸々の捧げものの納受者たる方は、わたしの行為(業)を述べ伝えて、右足を引き上げた。

76.(157) 彼ら、そこに存した勝者の子たちは、わたしに、右回り〔の礼〕を為した。天〔の神々〕たち、人間たち、そして、阿修羅たちは、敬拝して、立ち去った。

77.(158) 世の導き手が、僧団と共に、わたしの見えるところを通り過ぎたとき、そのとき、〔わたしは〕臥しているところから起きて、結跏を組んだ。

78.(159) 〔わたしは〕安楽なるままに安楽の者と成り、歓喜なるままに歓喜の者と〔成る〕。しかして、そのとき、〔わたしは〕喜悦に満ち溢れ、結跏を組んだ。

79.(160) 結跏で坐して、そのとき、わたしは、このように思い考えた。「わたしは、瞑想において、自在者と成った者であり、〔六つの〕神知において、最奥義に至った者である。

80.(161) 千の世において、わたしと同等の聖賢たちは存在しない。諸々の神通の法(性質)において、同等の者なき者として、〔わたしは〕このような安楽を得た」〔と〕。

81.(162) 結跏を組んでいるわたしに、十千〔世界〕の住者たちが、大いなる咆哮を転起させた。「絶対に、〔あなたは〕覚者と成るでしょう。

82.(163) 過去において、菩薩たちが優れた結跏を組むときに見られる、それらの形相ですが、今日、それらが見られます。

83.(164) 寒さは、過去のものと成り、そして、暑さは、止み静まります。今日、それらが見られます。絶対に、〔あなたは〕覚者と成るでしょう。

84.(165) 十千世界は、騒音なく、混乱なきものと成ります。今日、それらが見られます。絶対に、〔あなたは〕覚者と成るでしょう。

85.(166) 諸々の大風は、吹かず、諸々の流水は、流れません。今日、それらが見られます。絶対に、〔あなたは〕覚者と成るでしょう。

86.(167) 陸に生じる〔花々〕は、水に生じる花々は、〔その〕全てが、まさしく、ただちに、花ひらきます。今日、それらもまた、全てが花ひらきました。絶対に、〔あなたは〕覚者と成るでしょう。

87.(168) 諸々の蔓草であろうが、もしくは、諸々の樹木であろうが、まさしく、ただちに、果を荷とするものと成ります(実を結ぶ)。今日、それらもまた、全てが結果しました。絶対に、〔あなたは〕覚者と成るでしょう。

88.(169) しかして、虚空に依拠し、地に依拠する、諸々の宝玉は、まさしく、ただちに、輝きます。今日、それらの宝玉もまた、輝きます。絶対に、〔あなたは〕覚者と成るでしょう。

89.(170) しかして、人間のものであれ、さらには、天のものであれ、諸々の楽器は、まさしく、ただちに、奏でられます。今日、それらもまた、両者ともに響き渡ります。絶対に、〔あなたは〕覚者と成るでしょう。

90.(171) 色とりどりの花々は、まさしく、ただちに、空から降ります。今日、それらもまた、降り注ぎます。絶対に、〔あなたは〕覚者と成るでしょう。

91.(172) 大海は、〔水が〕引き、十千〔世界〕は、揺れ動きます。今日、それらもまた、両者ともに響き渡ります。絶対に、〔あなたは〕覚者と成るでしょう。

92.(173) 十千〔世界〕の地獄においてもまた、諸々の火は、まさしく、ただちに、消えます。今日、それらの火もまた、消えました。絶対に、〔あなたは〕覚者と成るでしょう。

93.(174) 太陽は、離垢のものと成り、星々は、〔その〕全てが見られます。今日、それらもまた、見られます。絶対に、〔あなたは〕覚者と成るでしょう。

94.(175) 降雨なしに、水は、まさしく、ただちに、大地から湧き出ました。今日、それもまた、大地から湧き出ます。絶対に、〔あなたは〕覚者と成るでしょう。

95.(176) 諸々の星群は、諸々の星宿は、空の圏域において遍照します。ヴィサーカー(星宿名)は、月と結び付きました。絶対に、〔あなたは〕覚者と成るでしょう。

96.(177) 洞穴を巣とし、洞窟を巣とするものたちは、自らの巣から出ます。今日、それらの巣もまた、打ち捨てられました。絶対に、〔あなたは〕覚者と成るでしょう。

97.(178) 有情たちに、諸々の不満〔の思い〕は有ることなく、まさしく、ただちに、満ち足りている者たちと成ります。今日、彼らもまた、全てが満ち足りています。絶対に、〔あなたは〕覚者と成るでしょう。

98.(179) そのとき、諸々の病は、止み静まり、かつまた、飢餓は、消失します。今日、それらが見られます。絶対に、〔あなたは〕覚者と成るでしょう。

99.(180) そのとき、貪り(貪)は、些細なものと成り、怒り(瞋)と迷い(痴)は、消失します。今日、それらもまた、全てが離れ去りました。絶対に、〔あなたは〕覚者と成るでしょう。

100.(181) そのとき、恐怖〔の思い〕は有ることなく、今日、これもまた、見られます。その徴表によって、〔わたしたちは〕知るのです。絶対に、〔あなたは〕覚者と成るでしょう。

101.(182) 塵は、上に舞い上がりません。今日、これもまた、見られます。その徴表によって、〔わたしたちは〕知るのです。絶対に、〔あなたは〕覚者と成るでしょう。

102.(183) 好ましくない香りは、立ち去り、天の香りは、香り行きます。今日、その香りもまた、香りただよいます。絶対に、〔あなたは〕覚者と成るでしょう。

103.(184) 形態なき者たちを除いて、天〔の神々〕たちは、〔その〕全てが見られます。今日、彼らもまた、全てが見られます。絶対に、〔あなたは〕覚者と成るでしょう。

104.(185) まさに、地獄に至るまで、〔その〕全てが、まさしく、ただちに、見られます。今日、それらもまた、全てが見られます。絶対に、〔あなたは〕覚者と成るでしょう。

105.(186) 諸々の壁、諸々の戸、そして、諸々の岩は、そのとき、妨害と成りません。今日、それらもまた、虚空と成りました。絶対に、〔あなたは〕覚者と成るでしょう。

106.(187) 死滅も、再生も、その瞬間において見い出されません。今日、それらもまた、見られます。絶対に、〔あなたは〕覚者と成るでしょう。

107.(188) 〔道心〕堅固に、精進を励起してください。退転することがあってはなりません。進んでください。わたしたちもまた、これを識知します。絶対に、〔あなたは〕覚者と成るでしょう」〔と〕。

108.(189) 覚者(ディーパンカラ)の、そして、十千〔世界の住者〕たちの、両者の言葉を聞いて、満足し笑喜し、歓喜の者となり、そのとき、わたしは、このように思い考えた。

109.(190) 「覚者たちは、二様の言葉なき者たちであり、勝者たちは、無駄な言葉なき者たちであり、覚者たちに、真実を離れる〔言葉〕は存在しない。絶対に、わたしは、覚者と成るであろう。

110.(191) 天空に投げられた石が、絶対に、地に落ちるように、まさしく、そのように、最勝の覚者たちの言葉は、絶対にして常恒であり、覚者たちに、真実を離れる〔言葉〕は存在しない。絶対に、わたしは、覚者と成るであろう。

111.(192) また、一切の有情たちにとって、死が、絶対にして常恒であるように、まさしく、そのように、最勝の覚者たちの言葉は、絶対にして常恒であり、覚者たちに、真実を離れる〔言葉〕は存在しない。絶対に、わたしは、覚者と成るであろう。

112.(193) 夜の滅尽を得たとき、絶対に、日の出があるように、まさしく、そのように、最勝の覚者たちの言葉は、絶対にして常恒であり、覚者たちに、真実を離れる〔言葉〕は存在しない。絶対に、わたしは、覚者と成るであろう。

113.(194) 臥所を出た獅子には、絶対に、吼え叫ぶことがあるように、まさしく、そのように、最勝の覚者たちの言葉は、絶対にして常恒であり、覚者たちに、真実を離れる〔言葉〕は存在しない。絶対に、わたしは、覚者と成るであろう。

114.(195) 妊娠した有情たちには、絶対に、荷を降ろすこと(出産)があるように、まさしく、そのように、最勝の覚者たちの言葉は、絶対にして常恒であり、覚者たちに、真実を離れる〔言葉〕は存在しない。絶対に、わたしは、覚者と成るであろう。

115.(196) さあ、〔人を〕覚者と為す諸々の法(性質)を、〔わたしは〕弁別するのだ(吟味考究する)――しかして、こちらから、あちらから、上に、下に、十方から、法(事象)の界域(法界)に至るまで」〔と〕。

116.(197) 弁別している〔わたし〕は、そのとき、第一のものとして、布施の最奥義(布施波羅蜜)を見た。過去の偉大なる聖賢たちによって歩まれた偉大なる道を。

117.(198) 〔わたしは、自らに言い聞かせた〕「おまえは、この第一のものを、まずは、堅固に為して、受持せよ。布施の最奥義〔の道〕を行け――覚り(菩提)を得ることを、〔おまえが〕求める、というのなら。

118.(199) また、満たされた水瓶が、どこの誰のものであれ、下に為されたなら(ひっくり返されたなら)、水が残りなく吐き出されたとき、そこには、遍く守ることがないように――

119.(200) まさしく、そのように、乞い求める者たちを見て、下劣なると高尚なると中等なる者にたいし、残りなく、布施を施せ――下に為された水瓶のように。

120.(201) まさに、これらが、これらだけが、諸々の覚者の法(性質)と成るのではない。諸他のものをもまた、〔わたしは〕弁別するのだ――それらが、覚りを成熟させる諸々の法(性質)であるなら」〔と〕。

121.(202) 弁別している〔わたし〕は、そのとき、第二のものとして、戒の最奥義(持戒波羅蜜)を見た。過去の偉大なる聖賢によって修習され、慣れ親しまれた〔偉大なる道〕を。

122.(203) 〔わたしは、自らに言い聞かせた〕「おまえは、この第二のものを、まずは、堅固に為して、受持せよ。戒の最奥義〔の道〕を行け――覚りを得ることを、〔おまえが〕求める、というのなら。

123.(204) また、ヤク〔牛〕が、どこにであれ、尾が引っ掛かったなら、そこにおいて、死に近づき行くとして、尾の先端を破損させることがないように――

124.(205) まさしく、そのように、おまえは、四つの境地(戒律条項による統御としての戒・感官機能における統御としての戒・生き方の完全なる清浄としての戒・日用品への依拠としての戒)において、諸戒を円満成就せよ。一切時において、戒を遍く守れ――ヤク〔牛〕が、尾の先端を〔守る〕ように。

125.(206) まさに、これらが、これらだけが、諸々の覚者の法(性質)と成るのではない。諸他のものをもまた、〔わたしは〕弁別するのだ――それらが、覚りを成熟させる諸々の法(性質)であるなら」〔と〕。

126.(207) 弁別している〔わたし〕は、そのとき、第三のものとして、離欲の最奥義(出離波羅蜜)を見た。過去の偉大なる聖賢によって修習され、慣れ親しまれた〔偉大なる道〕を。

127.(208) 〔わたしは、自らに言い聞かせた〕「おまえは、この第三のものを、まずは、堅固に為して、受持せよ。離欲の最奥義〔の道〕を行け――覚りを得ることを、〔おまえが〕求める、というのなら。

128.(209) 獄屋にある人が、〔そこに〕長く住し、苦痛に苦悩し、そこにおいて、貪欲を生まず、解放だけを求めるように――

129.(210) まさしく、そのように、おまえは、一切の生存(有)を、諸々の獄屋のように見よ。生存からの完全なる解き放ちのために、離欲に向かう者と成れ。

130.(211) まさに、これらが、これらだけが、諸々の覚者の法(性質)と成るのではない。諸他のものをもまた、〔わたしは〕弁別するのだ――それらが、覚りを成熟させる諸々の法(性質)であるなら」〔と〕。

131.(212) 弁別している〔わたし〕は、そのとき、第四のものとして、知慧の最奥義(智慧波羅蜜)を見た。過去の偉大なる聖賢によって修習され、慣れ親しまれた〔偉大なる道〕を。

132.(213) 〔わたしは、自らに言い聞かせた〕「おまえは、この第四のものを、まずは、堅固に為して、受持せよ。知慧の最奥義〔の道〕を行け――覚りを得ることを、〔おまえが〕求める、というのなら。

133.(214) また、行乞している比丘が、下劣なると高尚なると中等なる家々を避けずにいながら、このように、〔身を〕保持するもの(食物)を得るように――

134.(215) まさしく、そのように、おまえは、全ての時に、聡明なる人に遍く問い尋ねながら、知慧の最奥義〔の道〕を行って、正覚を得るのだ。

135.(216) まさに、これらが、これらだけが、諸々の覚者の法(性質)と成るのではない。諸他のものをもまた、〔わたしは〕弁別するのだ――それらが、覚りを成熟させる諸々の法(性質)であるなら」〔と〕。

136.(217) 弁別している〔わたし〕は、そのとき、第五のものとして、精進の最奥義(精進波羅蜜)を見た。過去の偉大なる聖賢によって修習され、慣れ親しまれた〔偉大なる道〕を。

137.(218) 〔わたしは、自らに言い聞かせた〕「おまえは、この第五のものを、まずは、堅固に為して、受持せよ。精進の最奥義〔の道〕を行け――覚りを得ることを、〔おまえが〕求める、というのなら。

138.(219) また、獣たちの王である獅子が、坐すことと立つことと歩むことにおいて、陰鬱ならざる精進ある者として有り、常に、励起された意“おもい”ある者として〔有る〕ように――

139.(220) まさしく、そのように、おまえは、一切の生存において、〔道心〕堅固に、精進を励起せよ。精進の最奥義〔の道〕を行って、正覚を得るのだ。

140.(221) まさに、これらが、これらだけが、諸々の覚者の法(性質)と成るのではない。諸他のものをもまた、〔わたしは〕弁別するのだ――それらが、覚りを成熟させる諸々の法(性質)であるなら」〔と〕。

141.(222) 弁別している〔わたし〕は、そのとき、第六のものとして、忍耐の最奥義(忍辱波羅蜜)を見た。過去の偉大なる聖賢によって修習され、慣れ親しまれた〔偉大なる道〕を。

142.(223) 〔わたしは、自らに言い聞かせた〕「おまえは、この第六のものを、まずは、堅固に為して、受持せよ。そこにおいて、二様の意なき者となり、正覚を得るのだ。

143.(224) また、まさに、地が、清らかなものであろうが、さらには、清らかならざるものであろうが、置き去りにする全てのものを耐え抜き、おまえに、憤り〔の思い〕を為さないように――

144.(225) まさしく、そのように、おまえもまた、全ての者たちの敬仰と軽蔑に忍耐ある者となり(毀誉褒貶に心を動かさず)、忍耐の最奥義〔の道〕を行って、正覚を得るのだ。

145.(226) まさに、これらが、これらだけが、諸々の覚者の法(性質)と成るのではない。諸他のものをもまた、〔わたしは〕弁別するのだ――それらが、覚りを成熟させる諸々の法(性質)であるなら」〔と〕。

146.(227) 弁別している〔わたし〕は、そのとき、第七のものとして、真理の最奥義(諦波羅蜜)を見た。過去の偉大なる聖賢によって修習され、慣れ親しまれた〔偉大なる道〕を。

147.(228) 〔わたしは、自らに言い聞かせた〕「おまえは、この第七のものを、まずは、堅固に為して、受持せよ。そこにおいて、二様の言葉なき者となり、正覚を得るのだ。

148.(229) また、まさに、明星(金星)が、天〔界〕を含む〔世〕における秤“はかり”として有り、時間において、あるいは、季節や年において、道から外れることがないように――

149.(230) まさしく、そのように、おまえもまた、諸々の真理において、まさに、道から外れてはならない。真理の最奥義〔の道〕を行って、正覚を得るのだ。

150.(231) まさに、これらが、これらだけが、諸々の覚者の法(性質)と成るのではない。諸他のものをもまた、〔わたしは〕弁別するのだ――それらが、覚りを成熟させる諸々の法(性質)であるなら」〔と〕。

151.(232) 弁別している〔わたし〕は、そのとき、第八のものとして、〔心の〕確立の最奥義(決定波羅蜜)を見た。過去の偉大なる聖賢によって修習され、慣れ親しまれた〔偉大なる道〕を。

152.(233) 〔わたしは、自らに言い聞かせた〕「おまえは、この第八のものを、まずは、堅固に為して、受持せよ。そこにおいて、おまえは、動揺なき者と成って、正覚を得るのだ。

153.(234) また、山の巌“いわお”が、動揺なく、しっかりと確立し、諸々の激しい風によって揺れ動かず、まさしく、自らの拠点に立つように――

154.(235) まさしく、そのように、おまえもまた、〔心を〕確立することにおいて、一切時に動揺なき者と成れ。〔心の〕確立の最奥義〔の道〕を行って、正覚を得るのだ。

155.(236) まさに、これらが、これらだけが、諸々の覚者の法(性質)と成るのではない。諸他のものをもまた、〔わたしは〕弁別するのだ――それらが、覚りを成熟させる諸々の法(性質)であるなら」〔と〕。

156.(237) 弁別している〔わたし〕は、そのとき、第九のものとして、慈愛の最奥義(慈波羅蜜)を見た。過去の偉大なる聖賢によって修習され、慣れ親しまれた〔偉大なる道〕を。

157.(238) 〔わたしは、自らに言い聞かせた〕「おまえは、この第九のものを、まずは、堅固に為して、受持せよ。慈愛では同等の者なき者と成れ――覚りを得ることを、〔おまえが〕求める、というのなら。

158.(239) また、まさに、水が、善き〔人〕と悪しき人にたいし、等しく涼やかに充満し、塵や垢を流し去るように――

159.(240) まさしく、そのように、おまえは、利益ある者と利益なき者にたいし、等しく慈愛〔の心〕を修めよ。慈愛の最奥義〔の道〕を行って、正覚を得るのだ。

160.(241) まさに、これらが、これらだけが、諸々の覚者の法(性質)と成るのではない。諸他のものをもまた、〔わたしは〕弁別するのだ――それらが、覚りを成熟させる諸々の法(性質)であるなら」〔と〕。

161.(242) 弁別している〔わたし〕は、そのとき、第十のものとして、放捨の最奥義(捨波羅蜜)を見た。過去の偉大なる聖賢によって修習され、慣れ親しまれた〔偉大なる道〕を。

162.(243) 〔わたしは、自らに言い聞かせた〕「おまえは、この第十のものを、まずは、堅固に為して、受持せよ。堅固なる秤として有る者(分け隔てなく公平に接する者)と成って、正覚を得るのだ。

163.(244) また、まさに、地が、置き去りにされた清らかならざるものと清らかなるものを、これらを、忿怒〔の思い〕と随貪〔の思い〕を回避し(怒ることもなく貪ることもなく)、両者ともどもに放捨するように――

164.(245) まさしく、そのように、おまえは、楽苦にたいし、常に、秤として有る者と成れ。放捨の最奥義〔の道〕を行って、正覚を得るのだ。

165.(246) これらだけが、それら〔の十の法だけ〕が、世に〔存在する〕――それらが、覚りを成熟させる諸々の法(性質)であるなら。それより上なるものは、何一つ存在せず、そこにおいて、堅固に〔自らを〕確立せよ」〔と〕。

166.(247) これらの法(性質)を、〔それらの有する〕自ずからの状態(自性)や自ずからの味用“はたらき”や特相について、〔わたしが〕触知していると、法(真理)の威光によって、大地が、十千〔世界〕が、揺れ動いた。

167.(248) 地は、動揺し、響き渡る――圧縮された甘蔗の〔搾り〕機具のように。油の〔搾り〕機具なかで輪が〔回転する〕ように、このように、地は、揺れ動く。

168.(249) 覚者(ディーパンカラ)への給仕において、衆として存したかぎりの、その〔衆の人々〕は、動揺しつつ、その場にて、気絶し、地に臥す。

169.(250) 幾千の鉢は、しかして、数百の瓶に、互いに他とぶつかり、その場にて、粉砕し、掻き乱された。

170.(251) 怯えわななき、恐れ、恐怖し、迷走し、意“こころ”を悩ませた、大勢の人たちは、集いあつまって、ディーパンカラのもとへと近づき行った。

171.(252) 「何が、世に有るのでしょうか。善きことでしょうか、はたまた、悪しきことでしょうか。一切の世〔の人々〕が、悩まされています。眼“まなこ”ある方よ、それを取り除いてください」〔と〕。

172.(253) 偉大なる牟尼たるディーパンカラは、そのとき、彼らを説得した。「〔冷静〕沈着に成りなさい。この大地の揺れ動きに恐怖してはならない。

173.(254) 『世における覚者と成るであろう』〔と〕、わたしは、今日、彼のことを説き示したが、この者が、法(真理)を触知する――過去の勝者によって慣れ親しまれた〔法〕を。

174.(255) 彼が、残りなく、覚者の境地たる法(性質)を触知していると、それによって、天〔界〕を含む〔世〕において、この地が、十千〔世界〕が、揺れ動いたのだ」〔と〕。

175.(256) 覚者の言葉を聞いて、〔彼らの〕意は、まさしく、ただちに、寂滅した(安堵した)。全ての者たちが、わたしに近しく赴いて、ふたたび、また、敬拝した。

176.(257) 覚者の徳(属性)を受持して、堅固に意を為して、そのとき、〔わたしは〕ディーパンカラを礼拝して、坐所から立ち上がった。

177.(258) 天〔の神々〕たちと人間たちの両者は、天と人間〔界〕の花を〔取って〕、坐所から立ち上がりつつある〔わたし〕に、花々を振りまく。

178.(259) 天〔の神々〕たちと人間たちの両者は、しかして、彼らは、安穏を感受する。「あなたの切望するものは、偉大なるものです。それを、求めるとおりに、得てください。

179.(260) 一切の疾患は、避けてとおれ。憂いは、病いは、消失せよ。あなたに、諸々の障りが有ってはなりません。すみやかに、最上の覚りを体得してください。

180.(261) また、時を得たなら、花ある木々が花ひらくように、まさしく、そのように、偉大なる勇者よ、あなたは、覚者の知恵によって、花ひらきます。

181.(262) 誰であれ、彼ら、正覚者たちが、十の最奥義を満たしたように、まさしく、そのように、偉大なる勇者よ、あなたは、十の最奥義を満たしてください。

182.(263) 誰であれ、彼ら、正覚者たちが、菩提道場において覚るように、まさしく、そのように、偉大なる勇者よ、あなたは、勝者の菩提において覚ってください。

183.(264) 誰であれ、彼ら、正覚者たちが、法(真理)の輪を転起させたように、まさしく、そのように、偉大なる勇者よ、あなたは、法(真理)の輪を転起させてください。

184.(265) 満月における月が、完全なる清浄のものとなり、遍照するように、まさしく、そのように、あなたは、意が満ちた者となり、十千〔世界〕に遍照してください。

185.(266) ラーフ(阿修羅の一類で日蝕や月蝕を引き起こすとされる)から解き放たれた太陽が、熱によって輝きまさるように、まさしく、そのように、あなたは、世から〔自らを〕解き放って、吉祥によって遍照してください。

186.(267) 何であれ、それらが川であるなら、大海へと流れ行くように、このように、天〔界〕を含む世〔の人々〕たちは、あなたを終極に、流れ行け」〔と〕。

187.(268) 彼らによって褒賞され賞賛された、〔まさに〕その〔わたし〕は、十の法(性質)を受持して、そのとき、それらの法(性質)を円満成就しつつ、林に入った。ということで――

 スメーダの切望の物語は、〔以上で〕終了した。

3 ディーパンカラ覚者の伝統

1.(269) そのとき、彼らは、世の導き手(ディーパンカラ)を、僧団と共に受益させて(ディーパンカラとその僧団を供養して)、彼のもとへと、〔世の〕教師たるディーパンカラのもとへと、〔彼を〕帰依所に近づき行った(ディーパンカラに帰依した)。

2.(270) 如来は、〔人々の心を〕確たるものとした――誰であれ、〔三つの〕帰依所に至り来ることにおいて、誰であれ、五つの戒において、他に、十種類の戒において。

3.(271) 〔彼は〕与える――誰にであれ、四つの最上の果(預流果・一来果・不還果・阿羅漢果)たる沙門の資質を。彼は与える――誰にであれ、同等のものなき法(性質)たる〔四つの〕即妙自在〔の知慧〕(無礙解)を。

4.(272) 人のなかの雄牛たる方は与える――誰にであれ、八つの優れた入定(等至)を。〔彼は〕授ける――誰にであれ、三つの明知(三明)を、六つの神知(六神通)を。

5.(273) その〔心の〕制止(瑜伽)によって、偉大なる牟尼は、衆人を教え諭す。それによって、世の主の教えは拡張し、〔世に〕存した(世に広く知られた)。

6.(274) 大きな顎をもち雄牛の肩をもつ方は、ディーパンカラという名ある方は、多くの人たちを〔彼岸へと〕超え渡し、悪しき境遇(悪趣)を完全に解き放つ。

7.(275) 覚らせるべき人を見て、百千ヨージャナ(由旬:長さの単位・一ヨージャナは軛牛の一日の旅程距離)でさえも、瞬時に近づき行って、偉大なる牟尼は、彼を覚らせる。

8.(276) 第一の〔法の〕知悉(現観)において、覚者は、百の千万の者たちを覚らせた。第二の〔法の〕知悉において、〔世の〕主は、九十の千万の者たちを覚らせた。

9.(277) さらには、覚者が、天〔の神々〕の居所において、法(教え)を説示したとき、九十の千の千万の者たちに、第三の〔法の〕知悉が有った。

10.(278) 〔世の〕教師たるディーパンカラには、三つの集まりが存した。百千の千万の者たちのために、第一の集いが存した。

11.(279) ふたたび、ナーラダ峰において、勝者が遠離のために赴いたとき、煩悩の滅尽者たちが、〔世俗の〕垢を離れた者たちが、百の千万の者たちが、共に赴いた。

12.(280) 偉大なる勇者が、スダッサナの連山におられる、その時には、偉大なる牟尼は、九の千の千万の者たちとともに、〔雨期の滞在を〕充足した。

13.(281) 十の、二十の、千の者たちに、法(真理)の知悉が有った。一者の、二者の、〔法の〕知悉は、数〔の観点〕からは数えようもない。

14.(282) 世尊たるディーパンカラの、善く清められた教えは、そのとき、実現し、繁栄し、拡張し、多く知られるものとして、〔世に〕有った。

15.(283) 四の百千の者たちは、六つの神知(六神通:宿命通・天眼通・他心通・天耳通・神足通・漏尽通)ある者たちにして、大いなる神通ある者たちであり、世〔の一切〕を知る方たるディーパンカラを、一切時において取り囲む。

16.(284) その時のこと、彼らが誰であれ、人間の生存を捨棄するとして、〔いまだ涅槃の〕意を得ていない、学びある者(有学)たちであるなら、彼らは、〔識者たちに〕非難される者たちと成る。

17.(285) 見事に花ひらいた〔聖なる〕言葉は、阿羅漢たちによって、如なる者たちによって、煩悩の滅尽者たちによって、〔世俗の〕垢を離れる者たちによって、一切時において光り輝く。

18.(286) 〔ディーパンカラ覚者が生を受けた〕城市は、ランマヴァティーという名であり、スデーヴァという名の士族が〔父として〕、スメーダーという名の生む者が〔母として有った〕――〔世の〕教師たるディーパンカラには。

19.(287) 十の千年のあいだ、彼は、家に止“とど”まり住んだ。ハンサー、コンチャー、そして、マユーラー〔という名〕の三つの最上の高楼が〔有った〕。

20.(288) 三の百千の〔装いを〕十二分に作り為した女たちが〔有った〕。パドゥマーという名のその女が〔妻として〕、ウサバッカンダが実子として〔有った〕。

21.(289) 四つの形相を見て、象を乗物に〔家を〕出た。欠くことなく十月のあいだ、勝者は、〔刻苦の〕精励を精励した。

22.(290) 〔刻苦〕精励の行を歩んで、牟尼は、人間を覚らせた。梵〔天〕に乞い求められた者として存しつつ、偉大なる牟尼たるディーパンカラは――

23.(291) 偉大なる勇者は、〔法の〕輪を転起させた――ナンダ聖園のシリー・ガラ(吉祥の家)において。シリーサ〔樹〕の根元に坐し、異教の撃破を為した。

24.(292) スマンガラと、ティッサとが、至高の弟子たちとして有った。サーガタという名の者が、奉仕者として〔有った〕――〔世の〕教師たるディーパンカラには。

25.(293) まさしく、ナンダーと、スナンダーとが、至高の女弟子たちとして有った。その世尊の菩提〔樹〕は、「ピッパリー」と呼ばれる。

26.(294) タプッサとバッリカという名の者たちが、至高の奉仕者たちとして有った。シリマーとコーナーが、〔至高の〕女奉仕者たちとして〔有った〕――〔世の〕教師たるディーパンカラには。

27.(295) 偉大なる牟尼たるディーパンカラは、八十ハッタ(長さの単位・一ハッタは約五十センチ)の高さあり、灯明台のように、花ひらいたサーラ〔樹〕の王のように、美しく輝く。

28.(296) その偉大なる聖賢には、百千年の寿命が〔有った〕。彼は、〔世に〕止まり住んでいる、それまでのあいだに、多くの人民を〔彼岸へと〕超え渡した。

29.(297) 正なる法(真理)を輝き照らして、大勢の人を超え渡して、火の集塊“かたまり”のように燃え盛って、彼は、弟子と共に、涅槃に到達した者となる。

30.(298) その神通も、その福徳も、〔両の〕足における、それらの輪宝も、その全てが消没した。まさに、一切の形成〔作用〕(諸行:形成されたもの・現象世界)は、空虚なるものではないか。

31.(299) 勝者にして〔世の〕教師たるディーパンカラは、ナンダ聖園において、涅槃に到達した者となる。まさしく、そこに、彼の、三十六ヨージャナの高さある、勝者の塔がある。ということで――

 ディーパンカラ世尊の伝統が、第一となる。

4 コンダンニャ覚者の伝統

1.(300) ディーパンカラの後に、コンダンニャという名の〔世の〕導き手が、無終なる威光あり無量なる福徳ある方として、〔雄牛の如く〕量るべくもなく〔獅子の如く〕近づき難き方として、〔世に生起した〕。

2.(301) 忍耐をもってしては、地の如く。戒をもってしては、海の如く。〔心の〕統一(定)をもってしては、メール(須弥山)の如く。知恵をもってしては、空の如く。

3.(302) 〔五つの〕機能(根)と〔五つの〕力と〔七つの〕覚りの支分(覚支)と〔八つの聖なる〕道と〔四つの〕真理(諦)の明示が〔有った〕。覚者は、常に明示した――全ての生ある者たちの利益のために。

4.(303) 世の導き手たるコンダンニャが、法(真理)の輪を転起させているとき、百千の千万の者たちに、第一の〔法の〕知悉(現観)が有った。

5.(304) そののち、他にもまた、〔法を〕説示しているとき、人や神たちの集いにおいて、九十の千の千万の者たちに、第二の〔法の〕知悉が有った。

6.(305) 異教の者たちを撃破しながら、法(教え)を説示したとき、八十の千の千万の者たちに、第三の〔法の〕知悉が有った。

7.(306) 偉大なる聖賢たるコンダンニャには、三つの集まりが存した。煩悩の滅尽者たちのために、〔世俗の〕垢を離れる者たちのために、寂静心の者たちのために、如なる者たちのために。

8.(307) 百千の千万の者たちのために、第一の集いが存した。第二〔の集い〕は、千の千万の者たちのために。第三〔の集い〕は、九十の千万の者たちのために。

9.(308) その時のこと、わたし(ゴータマ・ブッダ)は、ヴィジターヴィンという名の士族として、〔世に生起した〕。わたしは、海を限度の限りとして権力を転起させる。

10.(309) 百千の千万の〔世俗の〕垢を離れる大いなる聖賢たちを、世の至高の主(コンダンニャ)と共に、最高の食べ物によって満足させた。

11.(310) 〔世の〕導き手たるコンダンニャは、その覚者もまた、わたしのことを予言した。「これよりのち、量るべくもないカッパ(劫:時間の単位・無限大の時間)において、世における覚者と成るであろう。

12.(311) 〔刻苦の〕精励を精励して、為すに為し難きことを為して、偉大なる福徳ある者は、正覚者となり、アッサッタ〔樹〕(菩提樹)の根元において覚るであろう。

13.(312) この者の生みの母は、マーヤーという名の者と成るであろう。父は、スッドーダナという名の者と〔成るであろう〕。この者〔の姓〕は、ゴータマと成るであろう。

14.(313) コーリタ(マハーモッガッラーナ)、および、ウパティッサ(サーリプッタ)が、至高の弟子たち(二大弟子)と成るであろう。アーナンダという名の奉仕者(侍者)が、この勝者に奉仕するであろう。

15.(314) ケーマー、および、ウッパラヴァンナーが、至高の女弟子たちと成るであろう。その世尊の菩提〔樹〕は、『アッサッタ』と呼ばれる。

16.(315) チッタ、および、ハッターラヴァカが、至高の奉仕者たちと成るであろう。ナンダの母、および、ウッタラーが、至高の女奉仕者たちと成るであろう。彼には、福徳あるゴータマには、百年の寿命がある」〔と〕。

17.(316) 同等の者なき方(コンダンニャ)の、偉大なる聖賢の、この言葉を聞いて、歓喜した人や神たちは〔言った〕。「この方(ゴータマ・ブッダ)は、まさに、覚者の種子です」〔と〕。

18.(317) 諸々の叫喚の音声が転起する。〔彼らは〕拍手し、かつまた、笑喜する。十千〔世界〕の天〔の神々〕を含む者たちは、合掌を為し、礼拝する。

19.(318) 「世の主たるこの方(コンダンニャ)の教えを、〔わたしたちが〕亡失することになる、というのなら、未来の時において、〔わたしたちは〕この方(ゴータマ・ブッダ)の面前に有るでしょう。

20.(319) 川を超え渡っている人間たちが、対岸を亡失して〔そののち〕、下流の渡し場を収め取って、大河を超え渡るように(場を変えて渡河するように)――

21.(320) まさしく、このように、わたしたちの全てが、この勝者を逸し去る、というのなら、未来の時において、〔わたしたちは〕この方の面前に有るでしょう」〔と〕。

22.(321) 彼の言葉を聞いて、わたしは、より一層、心を清めた。まさしく、その義(目的)を遂行しつつ、大いなる王国を勝者に施した。大いなる王国を施して、彼の現前において出家した。

23.(322) 経典を、さらには、また、律を、九つの支分ある教師の教えを、〔その〕全てを、完全に学び取って、勝者の教えを荘厳した。

24.(323) 坐すことと立つことと歩むことにおいて、そこにおいて、〔気づきを〕怠ることなく〔世に〕住しつつ、〔六つの〕神知における最奥義に至って、わたしは、梵世へと赴いた(梵天界に再生した)。

25.(324) 〔コンダンニャ覚者が生を受けた〕城市は、ランマヴァティーという名であり、スナンダという名の士族が〔父として〕、スジャーターという名の生む者が〔母として有った〕――偉大なる聖賢たるコンダンニャには。

26.(325) 十の千年のあいだ、彼は、家に止“とど”まり住んだ。スチ、スルチ、そして、スバ〔という名〕の三つの最上の高楼が〔有った〕。

27.(326) 三の百千の〔装いを〕十二分に作り為した女たちが〔有った〕。ルチデーヴィーという名の女が〔妻として〕、ヴィジタセーナが実子として〔有った〕。

28.(327) 四つの形相を見て、車を乗物に〔家を〕出た。欠くことなく十月のあいだ、勝者は、〔刻苦の〕精励を精励した。

29.(328) 梵〔天〕に乞い求められた者として存しつつ、最上の二足者たるコンダンニャは、偉大なる勇者は、〔法の〕輪を転起させた――諸天のなかの最上の城市において。

30.(329) まさしく、バッダと、スバッダとが、至高の弟子たちとして有った。アヌルッダという名の者が、奉仕者として〔有った〕――偉大なる聖賢たるコンダンニャには。

31.(330) ティッサーと、ウパティッサーとが、至高の女弟子たちとして有った。善きサーラ〔樹〕が、菩提〔樹〕として〔有った〕――偉大なる聖賢たるコンダンニャには。

32.(331) ソーナと、ウパソーナとが、至高の奉仕者たちとして有った。まさしく、ナンダーと、シリーマーとが、至高の女奉仕者たちとして有った。

33.(332) その偉大なる牟尼は、八十八ハッタ(長さの単位・一ハッタは約五十センチ)を超える高さあり、星々の王(月)のように、正午の太陽のように、美しく輝く。

34.(333) 百千年のあいだ、まさしく、そのあいだ、寿命が見い出される。彼は、〔世に〕止まり住んでいる、それまでのあいだに、多くの人民を〔彼岸へと〕超え渡した。

35.(334) 煩悩の滅尽者たちによって、〔世俗の〕垢を離れる者たちによって、地は、種々様々なる〔輝き〕あるものとして存した。星々によって、空が〔光り輝く〕ように、このように、彼は光り輝いた。

36.(335) それらの龍たちもまた、〔雄牛の如く〕量るべくもなき者たちであり、〔心の〕動乱なき者たちであり、〔獅子の如く〕近づき難き者たちであり、雷光の落下のように〔自らを〕見示して、彼ら、大いなる福徳ある者たちは、涅槃に到達した者たちとなる。

37.(336) 勝者の、その無比なる神通も、知恵が完全に修められた〔心の〕統一も、その全てが消没した。一切の形成〔作用〕は、まさに、空虚なるものではないか。

38.(337) 最も優れた覚者たるコンダンニャは、チャンダ聖園において、涅槃に到達した者となる。まさしく、そこに、七ヨージャナ(長さの単位・一ヨージャナは軛牛の一日の旅程距離)に直立する、様々な〔彩り〕の塔廟がある。ということで――

 コンダンニャ世尊の伝統が、第二となる。

5 マンガラ覚者の伝統

1.(338) コンダンニャの後に、マンガラという名の〔世の〕導き手が、〔世に生起した〕。世の闇を打破して、法(真理)の松明を掲げた。

2.(339) 彼の光は、他の勝者たちよりも、より以上に、無比なるものとして存した。月と太陽の光を打ち砕いて、十千〔世界〕に遍照する。

3.(340) その覚者もまた、四つの優れた最上の真理(諦)を明示した。〔明示された〕それぞれの者たちは、真理の味を飲み干して、大いなる闇を取り除く。

4.(341) 無比なる覚りを得て〔そののち〕、第一の法(教え)の説示において、百千の千万の者たちに、法(真理)の知悉が有った。

5.(342) インダ神(インドラ神)の天の居所において、覚者が、法(教え)を説示した、そのとき、千の千万の者たちに、第二の〔法の〕行知(法の知悉)が有った。

6.(343) 転輪〔王〕たるスナンダが、正覚者に近しく赴いたとき、そのとき、正覚者は、優れた最上の法(真理)の太鼓を打った。

7.(344) そのとき、スナンダに随行する人民として、九十の千万の者たちが存した。彼らは、〔その〕全てでさえもが、残りなく、「来たれ、比丘よ」〔と言われる〕者たちと成った(出家した)。

8.(345) 偉大なる聖賢たるマンガラには、三つの集まりが存した。百千の千万の者たちのために、第一の集いが存した。

9.(346) 第二〔の集い〕は、百千の千万の者たちのために。第三〔の集い〕は、九十の千万の者たちのために。煩悩の滅尽者たちのために、〔世俗の〕垢を離れる者たちのために、そのとき、集いが存した。

10.(347) その時のこと、わたし(ゴータマ・ブッダ)は、スルチという名の婆羅門として、〔世に生起した〕。〔聖典の〕読誦者にして呪文の保持者として、三つのヴェーダの奥義に至る者として。

11.(348) わたしは、彼に近しく赴いて、教師のもとへと〔彼を〕帰依所に赴いて(マンガラに帰依して)、正覚者を頂とする僧団を、香料と花飾りによって供養した。香料と花飾りによって供養して、牛乳によって満足させた。

12.(349) 最上の二足者たるマンガラは、その覚者もまた、わたしのことを予言した。「これよりのち、量るべくもないカッパにおいて、この者は、覚者と成るであろう。

13.(350) 〔刻苦の〕精励を精励して……略……。〔わたしたちは〕この方(ゴータマ・ブッダ)の面前に有るでしょう」〔と〕。

14.(351) 彼の言葉を聞いて、さらに、より一層、〔わたしは〕心を清めた。十の最奥義の円満のために、より以上に、掟を確立した。

15.(352) そのとき、喜びを増進させながら、優れた正覚を得るために、覚者にたいし、わたしの家を施して、彼の現前において出家した。

16.(353) 経典を、さらには、また、律を、九つの支分ある教師の教えを、〔その〕全てを、完全に学び取って、勝者の教えを荘厳した。

17.(354) そこにおいて、〔気づきを〕怠ることなく〔世に〕住しつつ、〔四つの〕梵の修行(慈・悲・喜・捨の四無量心)を修めて、〔六つの〕神知における最奥義に至って、わたしは、梵世へと赴いた(梵天界に再生した)。

18.(355) 〔マンガラ覚者が生を受けた〕城市は、ウッタラという名であり、ウッタラという名の士族が〔父として〕、ウッタラーという名の生む者が〔母として有った〕――偉大なる聖賢たるマンガラには。

19.(356) 九の千年のあいだ、彼は、家に止まり住んだ。ヤサヴァー、スチマー、シリーマー〔という名〕の三つの最上の高楼が〔有った〕。

20.(357) 正味三十の千の〔装いを〕十二分に作り為した女たちが〔有った〕。ヤサヴァティーという名の女が〔妻として〕、シーヴァラという名の者が実子として〔有った〕。

21.(358) 四つの形相を見て、馬を乗物に〔家を〕出た。欠くことなく八月のあいだ、勝者は、〔刻苦の〕精励を精励した。

22.(359) 梵〔天〕に乞い求められた者として存しつつ、マンガラという名の導き手は、偉大なる勇者は、〔法の〕輪を転起させた――優れた最上のシリー林において。

23.(360) スデーヴァ、および、ダンマセーナが、至高の弟子たちとして有った。パーリタという名の者が、奉仕者として〔有った〕――偉大なる聖賢たるマンガラには。

24.(361) シーヴァラーと、アソーカーとが、至高の女弟子たちとして有った。その世尊の菩提〔樹〕は、「ナーガルッカ」と呼ばれる。

25.(362) まさしく、ナンダと、ヴィサーカとが、至高の奉仕者たちとして有った。まさしく、アヌラーと、スタナーとが、至高の女奉仕者たちとして有った。

26.(363) 偉大なる牟尼は、八十八ラタナ(長さの単位・一ラタナは約五十センチ)を超える高さあり、彼から、幾百千の光が放たれる。

27.(364) 九十の千年のあいだ、まさしく、そのあいだ、寿命が見い出される。彼は、〔世に〕止まり住んでいる、それまでのあいだに、多くの人民を〔彼岸へと〕超え渡した。

28.(365) また、海にある諸々の波が、それらが、数えることができないように、まさしく、そのように、彼の弟子たちは、彼らは、数えることができない。

29.(366) 世の導き手たるマンガラが、正覚者として、〔世に〕止住したあいだ、そのとき、彼の教えに、〔心の〕汚れを有する死は、存在しない。

30.(367) 法(真理)の松明を掲げて、大勢の人を超え渡して、火煙のように燃え盛って、彼は、偉大なる福徳ある方は、涅槃に到達した者となる。

31.(368) 諸々の形成〔作用〕(諸行:現象世界)の、自ずからの状態(自性)の義(意味)を、天〔界〕を含む〔世の人々〕たちに見示して(一切世界の無常・苦・無我なることを顕示して)、火の集塊“かたまり”のように燃え盛って、滅却に至った(西に沈んだ)太陽のように――

32.(369) ヴァッサラという名の庭園において、覚者たるマンガラは、涅槃に到達した。まさしく、そこに、彼の、三十ヨージャナの高さある、勝者の塔がある。ということで――

 マンガラ世尊の伝統が、第三となる。

6 スマナ覚者の伝統

1.(370) マンガラの後に、スマナという名の〔世の〕導き手が、一切の法(性質)をもってして同等の者なき方として、一切の有情のなかの最上者たる方として、〔世に生起した〕。

2.(371) そのとき、彼は、メーカラの都において、不死の太鼓を打った。法(真理)の法螺貝を兼ね合わせた、九つの支分ある勝者の教えを〔説いた〕。

3.(372) 彼は、諸々の〔心の〕汚れに勝利して、最上の正覚を得て、教師は、城市を造作した――優れた最上の正なる法(真理)の都を。

4.(373) 彼は、間断なく、屈曲なく、真っすぐで、広大にして幅広き、大いなる道を造作した――優れた最上の気づきの確立(念住・念処)を。

5.(374) 四つの沙門果を、四つの即妙自在〔の知慧〕を、六つの神知を、八つの入定を、〔大いなる〕道において、そこにおいて、拡大した。

6.(375) 彼ら、〔気づきを〕怠ることなく、〔心に〕鬱屈なく、恥〔の思い〕と精進を具した者たちは、それぞれの者たちが、これらの優れた徳を、安楽なるままに取る。

7.(376) このように、この〔心の〕制止(瑜伽)によって、大勢の人を引き上げながら、教師は、第一に、百千の千万の者たちを覚らせた。

8.(377) 偉大なる勇者が、異教の衆徒たちを教え諭した、その時には、千の千万の者たちが、〔法を〕知悉した――第二の法(教え)の説示において。

9.(378) 天〔の神々〕たち、および、人間たちが、意を一つにする和合者たちとなり、止滅〔の境地〕についての問いを、さらには、また、疑いの意のことを、問い尋ねたとき――

10.(379) そのときもまた、法(教え)の説示において、止滅〔の境地〕の遍き提示において、九十の千の千万の者たちに、第三の〔法の〕知悉が有った。

11.(380) 偉大なる聖賢たるスマナには、三つの集まりが存した。煩悩の滅尽者たちのために、〔世俗の〕垢を離れる者たちのために、寂静心の者たちのために、如なる者たちのために。

12.(381) 雨期を過ごした世尊が、〔雨期の〕充足を宣言したとき、如来は、百千の千万の者たちとともに、〔雨期の滞在を〕充足した。

13.(382) そののち、他に、〔世俗の〕垢を離れるカンチャナ(黄金)山の集まりにおいて、九十の千の千万の者たちのために、第二の集いが存した。

14.(383) 天王たる帝釈(インドラ神)が、覚者に相見えるために近づき行ったとき、八十の千の千万の者たちのために、第三の集いが存した。

15.(384) その時のこと、わたし(ゴータマ・ブッダ)は、大いなる神通ある龍王として、〔世に生起した〕。名としてはアトゥラという名の者として、増長した善の蓄積ある者として。

16.(385) そのとき、わたしは、龍の居所から出て、親族たちと共に、龍たちの諸々の天の楽器によって、勝者に、僧団と共に、奉仕した。

17.(386) 百千の千万の者たちを、食べ物と飲み物によって満足させた。各自に〔一〕組の布を施して、彼を帰依所に近づき行った(スマナに帰依した)。

18.(387) 〔世の〕導き手たるスマナは、その覚者もまた、わたしのことを予言した。「これよりのち、量るべくもないカッパにおいて、この者は、覚者と成るであろう。

19.(388) 〔刻苦の〕精励を精励して……略……。〔わたしたちは〕この方(ゴータマ・ブッダ)の面前に有るでしょう」〔と〕。

20.(389) 彼の言葉を聞いて、さらに、より一層、〔わたしは〕心を清めた。十の最奥義の円満のために、より以上に、掟を確立した。

21.(390) 〔スマナ覚者が生を受けた〕城市は、メーカラという名であり、スダッタという名の士族が〔父として〕、シリマーという名の生む者が〔母として有った〕――偉大なる聖賢たるスマナには。

22.(391) 九の千年のあいだ、彼は、家に止まり住んだ。チャンダ、スチャンダ、そして、ヴァタンサ〔という名〕の三つの最上の高楼が〔有った〕。

23.(392) 六十三の百千の〔装いを〕十二分に作り為した女たちが〔有った〕。ヴァタンシカーという名の女が〔妻として〕、アヌーパマという名の者が実子として〔有った〕。

24.(393) 四つの形相を見て、象を乗物に〔家を〕出た。欠くことなく十月のあいだ、勝者は、〔刻苦の〕精励を精励した。

25.(394) 梵〔天〕に乞い求められた者として存しつつ、世の導き手たるスマナは、偉大なる勇者は、〔法の〕輪を転起させた――最上の都たるメーカラにおいて。

26.(395) サラナ、および、バーヴィタッタが、至高の弟子たちとして有った。ウデーナという名の者が、奉仕者として〔有った〕――偉大なる聖賢たるスマナには。

27.(396) ソーナーと、ウパソーナーとが、至高の女弟子たちとして有った。その覚者もまた、無量なる福徳ある方として、ナーガ〔樹〕の根元において覚った。

28.(397) まさしく、ヴァルナと、サラナとが、至高の奉仕者たちとして有った。チャーラーと、ウパチャーラーとが、至高の女奉仕者たちとして有った。

29.(398) その覚者は、高さにして、九十ハッタ(長さの単位・一ハッタは約五十センチ)の高さあり、価値ある黄金の似姿にして、十千〔世界〕に遍照する。

30.(399) 九十の千年のあいだ、まさしく、そのあいだ、寿命が見い出される。彼は、〔世に〕止まり住んでいる、それまでのあいだに、多くの人民を〔彼岸へと〕超え渡した。

31.(400) 超え渡すべき者たちを超え渡して、しかして、覚らせるべき者たちを覚らせた。第八〔夜〕の星々の王(月)のように、正覚者は、完全なる涅槃に到達した。

32.(401) しかして、彼らは、煩悩の滅尽者たる比丘たちであり、しかして、彼は、覚者として、同等の者なき方である。無比なる光を見示して、彼ら、大いなる福徳ある者たちは、涅槃に到達した者たちとなる。

33.(402) その無比なる知恵も、それらの無比なる宝玉も、その全てが消没した。一切の形成〔作用〕は、まさに、空虚なるものではないか。

34.(403) 福徳を保持する方、覚者たるスマナは、アンガ聖園において、涅槃に到達した者となる。まさしく、そこに、彼の、四ヨージャナの高さある、勝者の塔がある。ということで――

 スマナ世尊の伝統が、第四となる。

7 レーヴァタ覚者の伝統

1.(404) スマナの後に、レーヴァタという名の〔世の〕導き手が、喩えなく同等の者なき方として、無比にして最上の勝者たる方として、〔世に生起した〕。

2.(405) 梵〔天〕に乞い求められた者として、彼もまた、法(真理)を明示した――範疇(蘊)と界域(界)の〔差異を〕定め置くことを、種々なる生存において転起されたものならざるものとして。

3.(406) 法(教え)の説示において、彼には、三つの知悉が有った。数をもっては説かれようのないものとして、第一の〔法の〕知悉が有った。

4.(407) 牟尼たるレーヴァタが、アリンダマ王を教導したとき、そのとき、千の千万の者たちに、第二の〔法の〕知悉が有った。

5.(408) 七日を〔経て〕、坐禅から出起して、人のなかの雄牛たる方は、百の千万の人や神たちのために、最上の果において教導した。

6.(409) 偉大なる聖賢たるレーヴァタには、三つの集まりが存した。煩悩の滅尽者たちのために、〔世俗の〕垢を離れる者たちのために、善く解脱した者たちのために、如なる者たちのために。

7.(410) 彼ら、第一〔の集い〕に集いあつまった者たちであるが、〔もはや〕計数を超越していた。百千の千万の者たちのために、第二の集いが存した。

8.(411) 彼の〔法の〕輪を〔世尊に続いて〕従い転起させる者(至高の仏弟子)は、彼もまた、知慧では同等の者なき方であるが、そのとき、彼は、生命の憂慮を得た病者として存した。

9.(412) 彼の病を問うために、そのとき、〔彼のもとへと〕近づき行った、それらの牟尼(沈黙の聖者)たちであるが、〔その数は〕千の千万の阿羅漢たちとなり、第三の集いが存した。

10.(413) その時のこと、わたし(ゴータマ・ブッダ)は、アティデーヴァという名の婆羅門として、〔世に生起した〕。覚者たるレーヴァタのもとへと近づき行って、わたしは、彼のもとへと〔彼を〕帰依所に赴いた(レーヴァタに帰依した)。

11.(414) 彼の、戒を、さらには、〔心の〕統一を、知慧の徳を、無上なるものとして、強大なるままに賛嘆して、わたしは、上〔衣〕を施した。

12.(415) 〔世の〕導き手たるレーヴァタは、その覚者もまた、わたしのことを予言した。「これよりのち、量るべくもないカッパにおいて、この者は、覚者と成るであろう。

13.(416) 〔刻苦の〕精励を精励して……略……。〔わたしたちは〕この方(ゴータマ・ブッダ)の面前に有るでしょう」〔と〕。

14.(417) 彼の言葉を聞いて、さらに、より一層、〔わたしは〕心を清めた。十の最奥義の円満のために、より以上に、掟を確立した。

15.(418) そのときもまた、〔まさに〕その、覚者の法(教え)を、思念しては増進させた。「〔まさに〕その、わたしの切望するところである、その法(教え)を、〔わたしは〕将来するのだ」〔と〕。

16.(419) 〔レーヴァタ覚者が生を受けた〕城市は、スダンニャヴァティーという名であり、ヴィプラという名の士族が〔父として〕、ヴィプラーという名の生む者が〔母として有った〕――偉大なる聖賢たるレーヴァタには。

17.(420) しかして、六の千年のあいだ、彼は、家に止まり住んだ。スダッサナ、ラタナッギ、そして、飾り立てられたアーヴェーラ〔という名〕の三つの最上の高楼が〔有った〕――功徳の行為によって発現したものとして。

18.(421) しかして、三十三の千の〔装いを〕十二分に作り為した女たちが〔有った〕。スダッサナーという名の女が〔妻として〕、ヴァルナという名の者が実子として〔有った〕。

19.(422) 四つの形相を見て、車を乗物に〔家を〕出た。欠くことなく七月のあいだ、勝者は、〔刻苦の〕精励を精励した。

20.(423) 梵〔天〕に乞い求められた者として存しつつ、世の導き手たるレーヴァタは、偉大なる勇者は、〔法の〕輪を転起させた――ヴァルナ聖園のシリー・ガラ(吉祥の家)において。

21.(424) ヴァルナ、および、ブラフマデーヴァが、至高の弟子たちとして有った。サンバヴァという名の者が、奉仕者として〔有った〕――偉大なる聖賢たるレーヴァタには。

22.(425) まさしく、バッダーと、スバッダーとが、至高の女弟子たちとして有った。その覚者もまた、同等の者も同等ならざる者もなき方として、ナーガ〔樹〕の根元において覚った。

23.(426) パドゥマが、まさしく、クンジャラとが、至高の奉仕者たちとして有った。まさしく、シリーマーと、ヤサヴァティーが、至高の女奉仕者たちとして有った。

24.(427) その覚者は、高さにして、八十ハッタ(長さの単位・一ハッタは約五十センチ)の高さあり、インダの幟が昇ったかのように、一切の方角を照らす。

25.(428) 彼の肉体に発現した、諸々の無上なる光の花飾りは、昼であろうが、もしくは、夜であろうが、遍きにわたり、〔一〕ヨージャナに充満する。

26.(429) 六十の千年のあいだ、まさしく、そのあいだ、寿命が見い出される。彼は、〔世に〕止まり住んでいる、それまでのあいだに、多くの人民を〔彼岸へと〕超え渡した。

27.(430) 覚者の力を見示して、世において、不死〔の境処〕を明示しながら、燃料の火の消滅のように、執取〔の思い〕なく、涅槃に到達した。

28.(431) その宝玉に似た身体も、その同等のものなき法(性質)も、その全てが消没した。一切の形成〔作用〕は、まさに、空虚なるものではないか。

29.(432) 福徳を保持する方、覚者たるレーヴァタは、彼は、大都において、涅槃に到達した者となる。そこかしこの地域において、遺物(遺骨)は拡張し、〔世に〕存した。ということで――

 レーヴァタ世尊の伝統が、第五となる。

8 ソービタ覚者の伝統

1.(433) レーヴァタの後に、ソービタという名の〔世の〕導き手が、〔心が〕定められた方として、寂静心の方として、同等の者なく対する人なき方として、〔世に生起した〕。

2.(434) その勝者は、自らの家において、意を退転させた(在家生活から心を遠ざけた)。全一なる覚りを得て、法(真理)の輪を転起させた。

3.(435) 下は無間〔地獄〕から、しかして、さらに、上は有頂〔天〕に至るまで、この間における法(教え)の説示において、一つの衆〔だけ〕が有った。

4.(436) 正覚者は、その衆のために、法(真理)の輪を転起させた。数をもっては説かれようのないものとして、第一の〔法の〕知悉が有った。

5.(437) そののち、他にもまた、〔法を〕説示しているとき、しかして、神たちの集いにおいて、九十の千の千万の者たちに、第二の〔法の〕知悉が有った。

6.(438) さらに、他に、ジャヤセーナという名の士族の王子が、聖園を育成して、覚者に引き渡した、そのとき――

7.(439) 眼ある方は、彼に、祭祀(供養)〔のあり方〕を述べ伝えつつ、法(教え)を説示したが、そのとき、千の千万の者たちに、第三の〔法の〕知悉が有った。

8.(440) 偉大なる聖賢たるソービタには、三つの集まりが存した。煩悩の滅尽者たちのために、〔世俗の〕垢を離れる者たちのために、寂静心の者たちのために、如なる者たちのために。

9.(441) ウッガタという名のその王が、最上の人たる方にたいし、布施を施す、その布施においては、百の千万の阿羅漢たちが、集いあつまった。

10.(442) さらに、他に、都の衆が、最上の人たる方にたいし、布施を施す、そのとき、九十の千万の者たちのために、第二の集いが存した。

11.(443) 天世(天界)に住んで〔そののち〕、勝者が、〔下界へと〕降り行くとき、そのとき、八十の千万の者たちのために、第三の集いが存した。

12.(444) その時のこと、わたし(ゴータマ・ブッダ)は、スジャータという名の婆羅門として、〔世に生起した〕。そのとき、覚者を、弟子と共に、食べ物と飲み物によって満足させた。

13.(445) 〔世の〕導き手たるソービタは、その覚者もまた、わたしのことを予言した。「これよりのち、量るべくもないカッパにおいて、この者は、覚者と成るであろう。

14.(446) 〔刻苦の〕精励を精励して……略……。〔わたしたちは〕この方(ゴータマ・ブッダ)の面前に有るでしょう」〔と〕。

15.(447) 彼の言葉を聞いて、さらに、〔満足し〕笑喜し、畏怖の意ある者となる。まさしく、その義(目的)を獲得するために、わたしは、烈しく〔道心〕堅固に為した。

16.(448) 〔ソービタ覚者が生を受けた〕城市は、スダンマという名であり、スダンマという名の士族が〔父として〕、スダンマーという名の生む者が〔母として有った〕――偉大なる聖賢たるソービタには。

17.(449) 九の千年のあいだ、彼は、家に止まり住んだ。クムダ、ナーリナ、パドゥマ〔という名〕の三つの最上の高楼が〔有った〕。

18.(450) 三十七の千の〔装いを〕十二分に作り為した女たちが〔有った〕。マニラーという名のその女が〔妻として〕、シーハという名の者が実子として存した。

19.(451) 四つの形相を見て、高楼をとおり〔家を〕出た。七日のあいだ、最上の人士たる方は、〔刻苦〕精励の行を歩んで――

20.(452) 梵〔天〕に乞い求められた者として存しつつ、世の導き手たるソービタは、偉大なる勇者は、〔法の〕輪を転起させた――最上のスダンマ庭園において。

21.(453) アサマと、スネッタとが、至高の弟子たちとして有った。アノーマという名の者が、奉仕者として〔有った〕――偉大なる聖賢たるソービタには。

22.(454) ナクラーと、スジャーターとが、至高の女弟子たちとして有った。しかして、彼は、覚者として、目覚めている者として、ナーガ〔樹〕の根元において覚った。

23.(455) まさしく、ランマと、スダッタとが、至高の奉仕者たちとして有った。まさしく、ナクラーと、チッターとが、至高の女奉仕者たちとして有った。

24.(456) 偉大なる牟尼は、五十八ラタナ(長さの単位・一ラタナは約五十センチ)を超える高さあり、百光が昇ったかのように、一切の方角を照らす。

25.(457) 美しく花ひらいた林が、種々なる香りによって燻じられているように、まさしく、そのように、彼の〔聖なる〕言葉は、諸々の戒の香りによって燻じられている。

26.(458) また、まさに、海が、見る〔だけ〕で満足すべきではないように、まさしく、そのように、彼の〔聖なる〕言葉は、聞く〔だけ〕で満足すべきではない。

27.(459) 九十の千年のあいだ、まさしく、そのあいだ、寿命が見い出される。彼は、〔世に〕止まり住んでいる、それまでのあいだに、多くの人民を〔彼岸へと〕超え渡した。

28.(460) 教諭を、そして、教示したことを、残りの人に与えて、献火のように燃え尽きて、彼は、弟子と共に、涅槃に到達した者となる。

29.(461) しかして、彼は、覚者として、同等の者も同等ならざる者もなき方であり、それらの弟子たちもまた、力を得た者たちであるが、その全てが消没した。まさに、一切の形成〔作用〕は、空虚なるものではないか。

30.(462) 優れた正覚者たるソービタは、シーハ聖園において、涅槃に到達した者となる。そこかしこの地域において、遺物(遺骨)は拡張し、〔世に〕存した。ということで――

 ソービタ世尊の伝統が、第六となる。

9 アノーマダッシン覚者の伝統

1.(463) ソービタの後に、最上の二足者たる正覚者として、アノーマダッシン〔という名〕の方が、無量なる福徳ある方として、超越し難き威光ある方として、〔世に生起した〕。

2.(464) 彼は、一切の結縛を断ち切って、三つの生存(三有)を砕破して、不退転に至る道を、天〔の神々〕と人間たちに見示した。

3.(465) 海のように不動なる方として、山のように近づき難き方として、虚空のように終極なき者として、サーラ〔樹〕の王のように花ひらいた方として、彼は〔有った〕。

4.(466) たとえ、その覚者を見る〔だけ〕でも、生あるものたちは、満足した者たちと成る。弁じている言葉を聞いて〔そののち〕、彼らは、不死〔の境処〕(涅槃)を得る。

5.(467) 彼の、法(真理)の知悉が、〔大勢の人たちに〕実現し繁栄したものと成った、そのとき、第一の法(教え)の説示において、百の千万の者たちが、〔法を〕知悉した。

6.(468) そののち、他に、〔法の〕知悉において、諸々の法(真理)の雨を降らせているとき、第二の法(教え)の説示において、八十の千万の者たちが、〔法を〕知悉した。

7.(469) そののち、他に、まさに、〔法の雨を〕降らせているとき、しかして、生あるものたちを満足させているとき、七十八の千万の者たちに、第三の〔法の〕知悉が有った。

8.(470) しかして、その偉大なる聖賢にもまた、三つの集まりが存した。神知の力を得た者たちのために、解脱〔の境地〕において花ひらいた者たちのために。

9.(471) そのとき、八の百千の者たちのために、〔第一の〕集まりが有った。驕慢と迷妄を捨棄した者たちのために、寂静心の者たちのために、如なる者たちのために。

10.(472) 七の百千の者たちのために、第二の集いが存した。穢れなき者たちのために、〔世俗の〕塵を離れる者たちのために、寂静なる者たちのために、如なる者たちのために。

11.(473) 六の百千の者たちのために、第三の集いが存した。神知の力を得た者たちのために、涅槃に到達した苦行者たちのために。

12.(474) その時のこと、わたし(ゴータマ・ブッダ)は、大いなる神通ある夜叉として、〔世に〕存した。自在〔天〕において、幾千万の夜叉たちの権力者として。

13.(475) そのときもまた、その優れた覚者のもとへと、偉大なる聖賢のもとへと、近づき行って、世の導き手を、僧団と共に、食べ物と飲み物によって満足させた。

14.(476) 清浄の眼ある牟尼は、彼もまた、そのとき、わたしのことを予言した。「これよりのち、量るべくもないカッパにおいて、この者は、覚者と成るであろう。

15.(477) 〔刻苦の〕精励を精励して……略……。〔わたしたちは〕この方(ゴータマ・ブッダ)の面前に有るでしょう」〔と〕。

16.(478) 彼の言葉を聞いて、さらに、〔満足し〕笑喜し、畏怖の意ある者となる。十の最奥義の円満のために、より以上に、掟を確立した。

17.(479) 〔アノーマダッシン覚者が生を受けた〕城市は、チャンダヴァティーという名であり、ヤサヴァントという名の士族が〔父として〕、ヤソーダラーという名の者が母として〔有った〕――〔世の〕教師たるアノーマダッシンには。

18.(480) 十の千年のあいだ、彼は、家に止まり住んだ。シリ、ウパシリ、ヴァッダ〔という名〕の三つの最上の高楼が〔有った〕。

19.(481) 二十三の千の〔装いを〕十二分に作り為した女たちが〔有った〕。シリマーという名のその女が〔妻として〕、ウパヴァーナという名の者が実子として〔有った〕。

20.(482) 四つの形相を見て、駕篭〔を乗物〕に〔家を〕出た。欠くことなく十月のあいだ、勝者は、〔刻苦の〕精励を精励した。

21.(483) 梵〔天〕に乞い求められた者として存しつつ、偉大なる聖賢たるアノーマダッシンは、偉大なる勇者は、彼は、〔法の〕輪を転起させた――スダッサナ庭園において。

22.(484) ニサバと、アノーマとが、至高の弟子たちとして有った。ヴァルナという名の者が、奉仕者として〔有った〕――〔世の〕教師たるアノーマダッシンには。

23.(485) スンダリーと、スマナーとが、至高の女弟子たちとして有った。その世尊の菩提〔樹〕は、「アッジュナ」と呼ばれる。

24.(486) ナンディヴァッダ、シリヴァッダが、至高の奉仕者たちとして有った。まさしく、ウッパラーと、パドゥマーとが、至高の女奉仕者たちとして有った。

25.(487) 偉大なる牟尼は、五十八ラタナ(長さの単位・一ラタナは約五十センチ)を超える高さあり、百光が昇ったかのように、彼の光が放たれる。

26.(488) 百千年のあいだ、まさしく、そのあいだ、寿命が見い出される。彼は、〔世に〕止まり住んでいる、それまでのあいだに、多くの人民を〔彼岸へと〕超え渡した。

27.(489) 見事に花ひらいた〔聖なる〕言葉は、阿羅漢たちによって、如なる者たちによって、貪欲を離れた者たちによって、〔世俗の〕垢を離れる者たちによって、勝者の教えは、美しく輝いた。

28.(490) しかして、その教師は、無量なる福徳ある方であり、それらの組となる者たち(弟子たち)〔もまた〕、無比なる者たちであるが、その全てが消没した。まさに、一切の形成〔作用〕は、空虚なるものではないか。

29.(491) 勝者にして〔世の〕教師たるアノーマダッシンは、ダンマ聖園において、涅槃に到達した者となる。まさしく、そこに、彼の、二十五〔ヨージャナ〕の高さある、勝者の塔がある。ということで――

 アノーマダッシン世尊の伝統が、第七となる。

10 パドゥマ覚者の伝統

1.(492) アノーマダッシンの後に、最上の二足者たる正覚者として、名としてはパドゥマという名の方が、同等の者なく対する人なき方として、〔世に生起した〕。

2.(493) 彼の、戒もまた、同等のものなきものとして、〔心の〕統一もまた、終極なきものとして、優れた知恵は、数えるべくもないものとして、解脱もまた、喩えなきものとして。

3.(494) その無比なる威光ある方にもまた、法(真理)の輪を転起させることにおいて、三つの知悉(現観)が存した。大いなる闇を運び去るものとして。

4.(495) 第一の〔法の〕知悉において、覚者は、百の千万の者たちを覚らせた。第二の〔法の〕知悉において、慧者は、九十の千万の者たちを覚らせた。

5.(496) しかして、覚者たるパドゥマが、自らの実子を教え諭したとき、そのとき、八十の千万の者たちに、第三の〔法の〕知悉が有った。

6.(497) 偉大なる聖賢たるパドゥマには、三つの集まりが存した。百千の千万の者たちのために、第一の集いが存した。

7.(498) カティナ奉献の時において、カティナの衣料が作成されたとき、法(教え)の軍団長〔への奉献〕という義(目的)のために、比丘たちは、衣料を縫い合わせた。

8.(499) そのとき、彼らは、〔世俗の〕垢を離れる比丘たちは、六つの神知ある者たちにして、大いなる神通ある者たちであり、三の百千の敗れることなき者たちが、〔第二の集いに〕集まった。

9.(500) さらに、他に、彼が、人のなかの雄牛たる方が、林のなかの住居へと近づき行った、そのとき、二の百千の者たちのために、〔第三の〕集いが存した。

10.(501) その時のこと、わたし(ゴータマ・ブッダ)は、獣たちの征服者たる獅子として、〔世に〕存した。林において、遠離を増進させている勝者を、〔わたしは〕見た。

11.(502) 〔両の〕足に、頭をもって敬拝して、彼に、右回り〔の礼〕を為して、三度、咆哮して、七日のあいだ、勝者に奉仕した。

12.(503) 七日を〔経て〕、優れた入定から出起して、如来は、意によって思い考えて、千万の比丘たちを導き入れた。

13.(504) 彼らの中央において、偉大なる勇者は、彼もまた、そのとき、〔わたしのことを〕予言した。「これよりのち、量るべくもないカッパにおいて、この者は、覚者と成るであろう。

14.(505) 〔刻苦の〕精励を精励して……略……。〔わたしたちは〕この方(ゴータマ・ブッダ)の面前に有るでしょう」〔と〕。

15.(506) 彼の言葉を聞いて、さらに、より一層、〔わたしは〕心を清めた。十の最奥義の円満のために、より以上に、掟を確立した。

16.(507) 〔パドゥマ覚者が生を受けた〕城市は、チャンパカという名であり、アサマという名の士族が〔父として〕、アサマーという名の生む者が〔母として有った〕――偉大なる聖賢たるパドゥマには。

17.(508) 十の千年のあいだ、彼は、家に止まり住んだ。ナンダー、ヴァス、ヤスッタラー〔という名〕の三つの最上の高楼が〔有った〕。

18.(509) しかして、三十三の千の〔装いを〕十二分に作り為した女たちが〔有った〕。ウッタラーという名のその女が〔妻として〕、ランマという名の者が実子として存した。

19.(510) 四つの形相を見て、車を乗物に〔家を〕出た。欠くことなく八月のあいだ、勝者は、〔刻苦の〕精励を精励した。

20.(511) 梵〔天〕に乞い求められた者として存しつつ、世の導き手たるパドゥマは、偉大なる勇者は、彼は、〔法の〕輪を転起させた――最上のダナンチャ庭園において

21.(512) サーラと、ウパサーラとが、至高の弟子たちとして有った。ヴァルナという名の者が、奉仕者として〔有った〕――偉大なる聖賢たるパドゥマには。

22.(513) まさしく、ラーダーと、スラーダーとが、至高の女弟子たちとして有った。その世尊の菩提〔樹〕は、「マハーソーナ」と呼ばれる。

23.(514) まさしく、ビッヤと、アサマとが、至高の奉仕者たちとして有った。ルチーと、ナンダラーマーとが、至高の女奉仕者たちとして有った。

24.(515) 偉大なる牟尼は、五十八ラタナ(長さの単位・一ラタナは約五十センチ)を超える高さあり、彼の、同等のものなき光が、遍き方角にわたり放たれる。

25.(516) 月の光、太陽の光、宝玉や火や宝珠の光は、それらは、〔その〕全てでさえもが、打破されたものと成る――勝者の最上の光を得て。

26.(517) 百千年のあいだ、まさしく、そのあいだ、寿命が見い出される。彼は、〔世に〕止まり住んでいる、それまでのあいだに、多くの人民を〔彼岸へと〕超え渡した。

27.(518) 〔涅槃の〕意が完熟した有情たちを残りなく覚らせて、残りの者たちを教示して、彼は、弟子と共に、涅槃に到達した者となる。

28.(519) 蛇が、老い朽ちた皮膚を〔捨棄する〕ように、木が、古くなった葉を〔捨棄する〕ように、一切の形成〔作用〕を捨棄して、彼は、炎のように、涅槃に到達した者となる。

29.(520) 優れた勝者にして〔世の〕教師たるパドゥマは、ダンマ聖園において、涅槃に到達した者となる。そこかしこの地域において、遺物(遺骨)は拡張し、〔世に〕存した。ということで―― 

 パドゥマ世尊の伝統が、第八となる。

11 ナーラダ覚者の伝統

1.(521) パドゥマの後に、最上の二足者たる正覚者として、名としてはナーラダという名の方が、同等の者なく対する人なき方として、〔世に生起した〕。

2.(522) その覚者は、転輪〔王〕の長男にして、正嫡として可愛がられた。〔彼は〕花飾りや装飾品を〔身に〕付け、庭園に近しく赴いた。

3.(523) そこには、広大なる福徳の樹木が存した――形姿麗しく、大きく、清らかな〔樹木〕が。その〔庭園〕に到達して、〔彼は〕坐した――〔まさしく、その〕マハーソーナ〔樹〕の下に。

4.(524) そこにおいて、終極なく、金剛の如き、優れた知恵が生起した。それによって、諸々の形成〔作用〕を、〔それらの〕興起しては倒壊するところを、〔あるがままに〕弁別した。

5.(525) そこにおいて、一切の〔心の〕汚れを、残りなく取り去った。全一なる覚りを、さらには、十四の覚者の知恵を、得た。

6.(526) 正覚を得て、法(教え)の輪を転起させた。百千の千万の者たちに、第一の〔法の〕知悉が有った。

7.(527) 偉大なる牟尼は、マハードーナ龍王を教え導きながら、そのとき、天〔界〕を含む〔世の人々〕たちに見示しつつ、神変を為した。

8.(528) そのとき、天〔の神〕や人間たちのための、〔まさに〕その、法(真理)の明示においては、九十の千の千万の者たちが、一切の疑惑を超え渡った。

9.(529) 偉大なる勇者が、自らの実子を教え諭した、その時には、八十の千の千万の者たちに、第三の〔法の〕知悉が有った。

10.(530) 偉大なる聖賢たるナーラダには、三つの集まりが存した。百千の千万の者たちのために、第一の集いが存した。

11.(531) 覚者が、覚者の徳を、〔その〕因縁と共に、〔人々に〕明示したとき、そのとき、九十の千の千万の〔世俗の〕垢を離れる者たちが、共に赴いた(第二の集い)。

12.(532) ヴェーローチャナ龍が、教師に、布施を施すとき、そのとき、八十の百千の勝者の子(弟子)たちが、共に赴いた(第三の集い)。

13.(533) その時のこと、わたし(ゴータマ・ブッダ)は、烈苦する結髪の者として、〔世に生起した〕。空中を歩む者として、五つの神知における奥義に至る者として、〔世に〕存した。

14.(534) そのときもまた、わたしは、同等の者も同等ならざる者もなき方を、僧団と共に、従者と共に、食べ物と飲み物によって満足させて、栴檀によって供養した。

15.(535) 世の導き手たるナーラダは、彼もまた、そのとき、わたしのことを予言した。「これよりのち、量るべくもないカッパにおいて、この者は、覚者と成るであろう。

16.(536) 〔刻苦の〕精励を精励して……略……。〔わたしたちは〕この方(ゴータマ・ブッダ)の面前に有るでしょう」〔と〕。

17.(537) 彼の言葉を聞いて、さらに、より一層、〔わたしは〕意を笑喜させて、十の最奥義の円満のために、烈しく、掟を確立した。

18.(538) 〔ナーラダ覚者が生を受けた〕城市は、ダンニャヴァティーという名であり、スデーヴァという名の士族が〔父として〕、アノーマーという名の生む者が〔母として有った〕――偉大なる聖賢たるナーラダには。

19.(539) 九の千年のあいだ、彼は、家に止まり住んだ。ジタ、ヴィジタ、アビラーマ〔という名〕の三つの最上の高楼が〔有った〕。

20.(540) 四十三の千の〔装いを〕十二分に作り為した女たちが〔有った〕。ヴィジタセーナーという名の女が〔妻として〕、ナンドゥッタラという名の者が実子として〔有った〕。

21.(541) 四つの形相を見て、徒歩で〔家を〕出た。七日のあいだ、最上の人士たる方は、〔刻苦〕精励の行を歩んだ。

22.(542) 梵〔天〕に乞い求められた者として存しつつ、世の導き手たるナーラダは、偉大なる勇者は、〔法の〕輪を転起させた――最上のダナンチャ庭園において。

23.(543) バッダサーラ、ジタミッタが、至高の弟子たちとして有った。ヴァーセッタという名の者が、奉仕者として〔有った〕――偉大なる聖賢たるナーラダには。

24.(544) ウッタラーが、まさしく、パッグニーとが、至高の女弟子たちとして有った。その世尊の菩提〔樹〕は、「マハーソーナ」と呼ばれる。

25.(545) ウッガリンダ、および、ヴァサバが、至高の奉仕者たちとして有った。インダーヴァリーと、ヴァンディーとが、至高の女奉仕者たちとして有った。

26.(546) 偉大なる牟尼は、八十八ラタナ(長さの単位・一ラタナは約五十センチ)を超える高さあり、価値ある黄金の似姿にして、十千〔世界〕に遍照する。

27.(547) 彼の、〔一〕ヴヤーマ(尋:長さの単位・一ヴヤーマは約二メートル)の光ある身体から、〔光が〕方々に放たれる。間断なく、昼夜のあいだ、常に、〔一〕ヨージャナに充満する。

28.(548) その時のこと、誰であれ、遍きにわたり、〔一〕ヨージャナにおける人たちが、松明や灯明を燃やすことなく、覚者の諸々の光によって覆われた。

29.(549) 九十の千年のあいだ、まさしく、そのあいだ、寿命が見い出される。彼は、〔世に〕止まり住んでいる、それまでのあいだに、多くの人民を〔彼岸へと〕超え渡した。

30.(550) 空が、星々によって、種々様々に光り輝くように、まさしく、そのように、彼の教えは、阿羅漢たちによって、美しく輝く。

31.(551) 輪廻の流れを超え渡るために、残りの実践者たちを〔教示して〕、法(教え)の橋を堅固に為して、彼は、人のなかの雄牛たる方は、涅槃に到達した者となる。

32.(552) その覚者もまた、同等の者も同等ならざる者もなき方であり、それらの煩悩の滅尽者たちもまた、無比なる威光ある者たちであるが、その全てが消没した。まさに、一切の形成〔作用〕は、空虚なるものではないか。

33.(553) 勝者にして〔人のなかの〕雄牛たるナーラダは、スダッサナの都において、涅槃に到達した者となる。まさしく、そこに、彼の、四ヨージャナの高さある、優美なる塔がある。ということで――

 ナーラダ世尊の伝統が、第九となる。

12 パドゥムッタラ覚者の伝統

1.(554) ナーラダの後に、最上の二足者たる正覚者として、パドゥムッタラという名の勝者が、海の如く不動なる方として、〔世に生起した〕。

2.(555) まさしく、醍醐のカッパ(劫)の者(最高の劫に生を受けた者)として、彼は、〔世に〕存した。すなわち、覚者が生まれた、そのカッパには、増長した善の人民が生まれた(積善の者が生を受けた)。

3.(556) パドゥムッタラ世尊の、第一の法(教え)の説示において、百千の千万の者たちに、法(真理)の知悉が有った。

4.(557) そののち、他にもまた、〔法の雨を〕降らせながら、しかして、生ある者たちを満足させているとき、三十七の百千の者たちに、第二の知悉が有った。

5.(558) 偉大なる勇者が、〔父である〕アーナンダに近しく赴き、父の現前に近づき行って、不死の鼓を打った、その時には――

6.(559) 不死の太鼓が打たれ、法(教え)の雨を降らせているとき、五十の百千の者たちに、第三の知悉が有った。

7.(560) 全ての生ある者たちの、教諭者として、教授者として、超渡者として、説示の巧みな智ある者として、覚者は、多くの人民を〔彼岸へと〕超え渡した。

8.(561) 〔世の〕教師たるパドゥムッタラには、三つの集まりが存した。百千の千万の者たちのために、第一の集いが存した。

9.(562) 覚者が、同等の者も同等ならざる者もなき方が、ヴェーバーラ山に住んでいたとき、九十の千の千万の者たちに、第二の集いが存した。

10.(563) さらに、〔彼が〕遊行〔の旅〕に出たとき、村や町や国からの、八十の千の千万の者たちに、第三の集いが存した。

11.(564) その時のこと、わたし(ゴータマ・ブッダ)は、ジャティラという名の国人として、〔世に生起した〕。わたしは、正覚者を頂とする僧団に、食物と共に、布を施した。

12.(565) 僧団の中央に坐して、その覚者もまた、わたしのことを予言した。「これよりのち、百千カッパにおいて、この者は、覚者と成るであろう。

13.(566) 〔刻苦の〕精励を精励して……略……。〔わたしたちは〕この方(ゴータマ・ブッダ)の面前に有るでしょう」〔と〕。

14.(567) 彼の言葉を聞いて、さらに、より以上に、掟を確立した。十の最奥義の円満のために、烈しく、断固として、〔道心〕堅固に為した。

15.(568) そのとき、異教の者たちは、〔その〕全てが、排除され、意が離れ、失意の者たちとなり、誰であれ、彼らに奉仕せず、彼らを国から排斥する。

16.(569) そこにおいて、全ての者たちが集いあつまって、覚者の現前に近づき行った。「偉大なる勇者よ、あなたは、〔世の〕主です。眼ある方よ、帰依所と成ってください」〔と〕。

17.(570) 慈しみある方は、慈悲ある方は、全ての生ある者たちの利益を求める方は、達し得るところの全ての異教の者たちを、五つの戒において確立させた。

18.(571) このように混乱なく、異教の者たちから空無なるものとして、その〔帰依所〕は、〔世に〕存した。阿羅漢たちによって、自在者と成った者たちによって、如なる者たちによって、種々様々な〔彩り〕あるものとして。

19.(572) 〔パドゥムッタラ覚者が生を受けた〕城市は、ハンサヴァティーという名であり、アーナンダという名の士族が〔父として〕、スジャーターという名の生む者が〔母として有った〕――〔世の〕教師たるパドゥムッタラには。

20.(573) 十の千年のあいだ、彼は、家に止まり住んだ。ナラヴァーハナ、ヤサ、ヴァサヴァッティー〔という名〕の三つの最上の高楼が〔有った〕。

21.(574) 四十三の千の〔装いを〕十二分に作り為した女たちが〔有った〕。ヴァスダッターという名の女が〔妻として〕、ウッタマという名の者が実子として〔有った〕。

22.(575) 四つの形相を見て、高楼をとおり〔家を〕出た。七日のあいだ、最上の人士たる方は、〔刻苦〕精励の行を歩んだ。

23.(576) 梵〔天〕に乞い求められた者として存しつつ、〔世の〕導き手たるパドゥムッタラは、偉大なる勇者は、〔法の〕輪を転起させた――最上のミティラ庭園において。

24.(577) デーヴァラと、スジャータとが、至高の弟子たちとして有った。スマナという名の者が、奉仕者として〔有った〕――偉大なる聖賢たるパドゥムッタラには。

25.(578) アミターと、アサマーとが、至高の女弟子たちとして有った。その世尊の菩提〔樹〕は、「サララ」と呼ばれる。

26.(579) まさしく、ヴィティンナと、ティッサとが、至高の奉仕者たちとして有った。まさしく、ハッターと、ヴィチッターとが、至高の女奉仕者たちとして有った。

27.(580) 偉大なる牟尼は、五十八ラタナ(長さの単位・一ラタナは約五十センチ)を超える高さあり、価値ある黄金の似姿にして、三十二の優れた特相ある方として、〔世に有った〕。

28.(581) 諸々の冊、諸々の戸、そして、諸々の壁は、木々は、山岳の諸々の連なりは、遍きにわたり、十二ヨージャナにおいて、彼にとって、妨害として存在することはない。

29.(582) 百千年のあいだ、まさしく、そのあいだ、寿命が見い出される。彼は、〔世に〕止まり住んでいる、それまでのあいだに、多くの人民を〔彼岸へと〕超え渡した。

30.(583) 多くの人を超え渡して、一切の疑惑を断ち切って、火の集塊“かたまり”のように燃え盛って、彼は、弟子と共に、涅槃に到達した者となる。

31.(584) 勝者にして覚者たるパドゥムッタラは、ナンダ聖園において、涅槃に到達した者となる。まさしく、そこに、彼の、十二ヨージャナの高さある、優美なる塔がある。ということで――

 パドゥムッタラ世尊の伝統が、第十となる。

13 スメーダ覚者の伝統

1.(585) パドゥムッタラの後に、スメーダという名の〔世の〕導き手が、〔獅子の如く〕近づき難く烈しき威光ある方として、一切世〔界〕における最上の牟尼として、〔世に生起した〕。

2.(586) 清らかな眼の方として、美しい顔立ちの方として、偉丈夫で真っすぐな輝きある方として、一切の有情の利益を求める方として、多くの者たちを結縛から解き放った。

3.(587) 覚者が、全一なる最上の覚りを得て、スダッサナの城市において、法(教え)の輪を転起させたとき――

4.(588) 彼にもまた、法(教え)の説示において、三つの知悉(現観)が有った。百千の千万の者たちに、第一の〔法の〕知悉が有った。

5.(589) さらに、他に、クンバカンナ夜叉を、その勝者が調御した〔とき〕、九十の千の千万の者たちに、第二の〔法の〕知悉が有った。

6.(590) さらに、他に、無量なる福徳ある方が、四つの真理を明示した〔とき〕、八十の千の千万の者たちに、第三の〔法の〕知悉が有った。

7.(591) 偉大なる聖賢たるスメーダには、三つの集まりが存した。煩悩の滅尽者たちのために、〔世俗の〕垢を離れる者たちのために、寂静心の者たちのために、如なる者たちのために。

8.(592) スダッサナという名の城市へと、勝者が近づき行ったとき、そのとき、百の千万の煩悩の滅尽者たる比丘たちが、共に赴いた。

9.(593) さらに、他に、デーヴァクータにおいて、比丘たちに、カティナ〔の衣料〕が奉献されたとき、そのとき、九十の千万の者たちに、第二の集いが存した。

10.(594) さらに、他に、十の力ある方が、遊行〔の旅〕を歩むとき、そのとき、八十の千万の者たちに、第三の集いが存した。

11.(595) その時のこと、わたし(ゴータマ・ブッダ)は、ウッタラという名の学徒として、〔世に生起した〕。わたしの家には、蓄積された財産として、八十の千万〔金〕がある。

12.(596) 〔その〕全部を、〔その〕全てを、世の導き手にたいし、僧団と共に施して、彼のもとへと〔彼を〕帰依所に近づき行った(スメーダに帰依した)。しかして、〔わたしは〕出家を乞い願った。

13.(597) 随喜を為しつつ、その覚者もまた、わたしのことを予言した。「三十の千カッパにおいて、この者は、覚者と成るであろう。

14.(598) 〔刻苦の〕精励を精励して……略……。〔わたしたちは〕この方(ゴータマ・ブッダ)の面前に有るでしょう」〔と〕。

15.(599) 彼の言葉を聞いて、さらに、より一層、〔わたしは〕心を清めた。十の最奥義の円満のために、より以上に、掟を確立した。

16.(600) 経典を、さらには、また、律を、九つの支分ある教師の教えを、〔その〕全てを、完全に学び取って、勝者の教えを荘厳した。

17.(601) 坐すことと立つことと歩むことにおいて、そこにおいて、〔気づきを〕怠ることなく〔世に〕住しつつ、〔六つの〕神知における最奥義に至って、わたしは、梵世へと赴いた(梵天界に再生した)。

18.(602) 〔スメーダ覚者が生を受けた〕城市は、スダッサナという名であり、スダッタという名の士族が〔父として〕、スダッターという名の生む者が〔母として有った〕――偉大なる聖賢たるスメーダには。

19.(603) 九の千年のあいだ、彼は、家に止まり住んだ。スチャンダ、カンチャナ、シリヴァッダ〔という名〕の三つの最上の高楼が〔有った〕。

20.(604) 三の十六の千(四万八千)の〔装いを〕十二分に作り為した女たちが〔有った〕。スマナーという名のその女が〔妻として〕、プナッバスというこの名の者が実子として〔有った〕。

21.(605) 四つの形相を見て、象を乗物に〔家を〕出た。欠くことなく半月のあいだ、勝者は、〔刻苦の〕精励を精励した。

22.(606) 梵〔天〕に乞い求められた者として存しつつ、世の導き手たるスメーダは、偉大なる勇者は、〔法の〕輪を転起させた――最上のスダッサナ庭園において。

23.(607) サラナ、および、サッバカーマが、至高の弟子たちとして有った。サーガラという名の者が、奉仕者として〔有った〕――偉大なる聖賢たるスメーダには。

24.(608) まさしく、ラーマーと、スラーマーとが、至高の女弟子たちとして有った。その世尊の菩提〔樹〕は、「マハーニーパ」と呼ばれる。

25.(609) ウルヴェーラント、および、ヤサヴァントが、至高の奉仕者たちとして有った。ヤソーダラー、および、シリマーが、至高の女奉仕者たちとして有った。

26.(610) 偉大なる牟尼は、八十八ラタナ(長さの単位・一ラタナは約五十センチ)を超える高さあり、星の群れのなかの月のように、一切の方角を照らす。

27.(611) まさに、転輪宝珠が、〔一〕ヨージャナに輝くように、まさしく、そのように、彼の宝玉は、遍きにわたり、〔一〕ヨージャナに充満する。

28.(612) 九十の千年のあいだ、まさしく、そのあいだ、寿命が見い出される。彼は、〔世に〕止まり住んでいる、それまでのあいだに、多くの人民を〔彼岸へと〕超え渡した。

29.(613) 三つの明知(三明)と六つの神知(六神通)ある者たちによって、力を得た者たちによって、如なる者たちによって、阿羅漢たちによって、善き者たちによって、この〔帰依所〕は溢れ満ち、〔世に〕存した。

30.(614) 彼らもまた、〔その〕全てが、無量なる福徳ある者たちであり、解脱した者たちであり、依り所なき者たちであり、知恵の光明を見示して、彼ら、大いなる福徳ある者たちは、涅槃に到達した者たちとなる。

31.(615) 優れた勝者にして覚者たるスメーダは、メーダ聖園において、涅槃に到達した者となる。そこかしこの地域において、遺物(遺骨)は拡張し、〔世に〕存した。ということで――

 スメーダ世尊の伝統が第十一となる。

14 スジャータ覚者の伝統

1.(616) まさしく、そこにおいて、〔すなわち、同じその〕醍醐のカッパにおいて、スジャータという名の〔世の〕導き手が、獅子の腕をもち雄牛の肩をもつ方として、〔雄牛の如く〕量るべくもなく〔獅子の如く〕近づき難き方として、〔世に生起した〕。

2.(617) 月のように離垢にして清浄なる方として、百光のように輝きある方として。このように、正覚者は美しく輝く――常に、吉祥によって燃え盛りながら。

3.(618) 正覚者は、全一なる最上の覚りを得て、スマンガラの城市において、法(教え)の輪を転起させた。

4.(619) 〔世の〕導き手たるスジャータが、最も優れた法(教え)を説示しているとき、第一の法(教え)の説示において、八十の千万の者たちが、〔法を〕知悉した。

5.(620) 無量なる福徳ある方たるスジャータが、天〔界〕において、雨期を過ごしたとき、三十七の百千の者たちに、第二の〔法の〕知悉が有った。

6.(621) 同等の者も同等ならざる者もなき方たるスジャータが、父の現前へと近づき行ったとき、六十の百千の者たちに、第三の〔法の〕知悉が有った。

7.(622) 偉大なる聖賢たるスジャータには、三つの集まりが存した。煩悩の滅尽者たちのために、〔世俗の〕垢を離れる者たちのために、寂静心の者たちのために、如なる者たちのために。

8.(623) 〔六つの〕神知と〔五つの〕力を得た者たちのための、種々なる生存において〔いまだ〕得ていない者たちのための、第一〔の集い〕には、それらの六十の百千の者たちが集まった。

9.(624) さらに、他に、〔天の〕集まりにおいて、勝者が、三十三〔天〕から降り行くとき、五十の百千の者たちに、第二の集いが存した。

10.(625) 彼の、〔まさに〕その、至高の弟子たる者は、人のなかの雄牛たる方に近しく赴きつつ、四の百千の者たちとともに、正覚者に近しく赴いた。

11.(626) その時のこと、わたし(ゴータマ・ブッダ)は、四つの洲(全世界)における権力者として、〔世に生起した〕。空中を歩む者として、大いなる力ある転輪〔王〕として、〔世に〕存した。

12.(627) 世における稀有なることを見て、未曾有のことを〔見て〕、〔大いなる歓喜に〕身の毛のよだつことを〔見て〕、その〔わたし〕は、〔世の〕導き手たるスジャータのもとへと近づき行って、〔彼を〕敬拝した。

13.(628) 四つの洲(全世界)における大いなる王国を、七つの最上の宝を、覚者に引き渡して、彼の現前において出家した。

14.(629) 園丁たちは、地方で産出したものを、返礼の施食を、日用品(薬品)を、臥坐〔具〕を、比丘の僧団に運ぶ。

15.(630) 十千〔世界〕における権力者たる方は、その覚者もまた、わたしのことを予言した。「三十の千カッパにおいて、この者は、覚者と成るであろう。

16.(631) 〔刻苦の〕精励を精励して……略……。〔わたしたちは〕この方(ゴータマ・ブッダ)の面前に有るでしょう」〔と〕。

17.(632) 彼の言葉を聞いて、さらに、わたしは、より一層、笑喜〔の思い〕を生んだ。十の最奥義の円満のために、烈しく、掟を確立した。

18.(633) 経典を、さらには、また、律を、九つの支分ある教師の教えを、〔その〕全てを、完全に学び取って、勝者の教えを荘厳した。

19.(634) そこにおいて、〔気づきを〕怠ることなく〔世に〕住しつつ、〔四つの〕梵の修行(慈・悲・喜・捨の四無量心)を修めて、〔六つの〕神知における最奥義に至って、わたしは、梵世へと赴いた(梵天界に再生した)。

20.(635) 〔スジャータ覚者が生を受けた〕城市は、スマンガラという名であり、ウッガタという名の士族が〔父として〕、パバーヴァティーという名の者が母として〔有った〕――偉大なる聖賢たるスジャータには。

21.(636) 九の千年のあいだ、彼は、家に止まり住んだ。シリ、ウパシリ、ナンダ〔という名〕の三つの最上の高楼が〔有った〕。

22.(637) 二十三の千の〔装いを〕十二分に作り為した女たちが〔有った〕。シリナンダーという名の女が〔妻として〕、ウパセーナという名の者が実子として〔有った〕。

23.(638) 四つの形相を見て、馬を乗物に〔家を〕出た。欠くことなく九月のあいだ、勝者は、〔刻苦の〕精励を精励した。

24.(639) 梵〔天〕に乞い求められた者として存しつつ、世の導き手たるスジャータは、偉大なる勇者は、〔法の〕輪を転起させた――最上のスマンガラ庭園において。

25.(640) スダッサナ、および、スデーヴァが、至高の弟子たちとして有った。ナーラダという名の者が、奉仕者として〔有った〕――偉大なる聖賢たるスジャータには。

26.(641) ナーガーと、ナーガサマーラーとが、至高の女弟子たちとして有った。その世尊の菩提〔樹〕は、「マハーヴェール」と呼ばれる。

27.(642) また、その〔菩提〕樹は、幹が重厚で、穴がなく有り、葉がしげり、真っすぐで、大きく、竹として、美しく、意が喜びとするものと成る。

28.(643) 幹が一つで、成長して、そののち、枝が分かれる。美しく結縛された孔雀の団扇のように、このように、その木は、美しく輝く。

29.(644) その〔木〕には、諸々の棘が有ることなく、穴もまた、大きなものと成らなかった。枝が広がり、〔葉も〕まばらならず、影厚く、意が喜びとするものと〔成る〕。

30.(645) まさしく、スダッタと、チッタとが、至高の奉仕者たちとして有った。スバッダーと、パドゥマーとが、至高の女奉仕者たちとして有った。

31.(646) その勝者は、高さにして、五十ラタナ(長さの単位・一ラタナは約五十センチ)〔の高さ〕ある者として、〔世に〕存した。一切の優れた行相を具した方として、一切の徳を具した方として。

32.(647) 彼の、同等のものも同等ならざるものもなき光が、遍きにわたり放たれる。無量にして無比なる方として、諸々の喩えをもってして喩えなき方として。

33.(648) 九十の千年のあいだ、まさしく、そのあいだ、寿命が見い出される。彼は、〔世に〕止まり住んでいる、それまでのあいだに、多くの人民を〔彼岸へと〕超え渡した。

34.(649) また、海にある諸々の波のように、空にある諸々の星のように、このように、そのとき、〔聖なる〕言葉は、阿羅漢たちによって〔美しく〕彩られた。

35.(650) しかして、彼は、覚者として、同等の者も同等ならざる者もなき方であり、さらには、〔僧団を〕構成するそれらの者たち〔もまた〕、無比なる者たちであるが、その全てが消没した。まさに、一切の形成〔作用〕は、空虚なるものではないか。

36.(651) 優れた勝者にして覚者たるスジャータは、シラー聖園において、涅槃に到達した者となる。まさしく、そこに、彼の、三ガーヴタ(長さの単位・一ガーヴタは牛の鳴き声が届く距離)の高さある塔がある。ということで――

 スジャータ世尊の伝統が第十二となる。

15 ピヤダッシン覚者の伝統

1.(652) スジャータの後に、〔他に依らず〕自ら有る〔世の〕導き手として、〔獅子の如く〕近づき難く同等の者も同等ならざる者もなき方として、ピヤダッシン〔という名〕の偉大なる福徳ある方が、〔世に生起した〕。

2.(653) その覚者もまた、無量なる福徳ある方として、太陽のように遍照する。一切の闇を打破して、法(教え)の輪を転起させた。

3.(654) その無比なる方にもまた、三つの知悉が有った。百千の千万者たちに、第一の〔法の〕知悉が有った。

4.(655) スダッサナ天王が、誤った見解を選び取った〔とき〕、教師は、彼の〔誤った〕見解を取り除きながら、法(教え)を説示した。

5.(656) そのとき、無比なる人の集まりとなり、大いなる〔衆〕が集まった。九十の千の千万の者たちに、第二の〔法の〕知悉が有った。

6.(657) 人の調御者たる方が、ドーナムカ象を教導したとき、八十の千の千万の者たちに、第三の〔法の〕知悉が有った。

7.(658) そのピヤダッシンにもまた、三つの集まりが存した。百千の千万の者たちのために、第一の集いが存した。

8.(659) そののち、他に、九十の千万の牟尼(沈黙の聖者)たちが、一緒になり、共に赴いた(第二の集い)。第三の集いにおいては、八十の千万の者たちが有った。

9.(660) その時のこと、わたし(ゴータマ・ブッダ)は、カッサパという名の婆羅門として、〔世に生起した〕。〔聖典の〕読誦者にして呪文の保持者として、三つのヴェーダの奥義に至る者として。

10.(661) 彼の法(教え)を聞いて、わたしは、清らかな信を生んだ。百千の千万〔金〕によって、僧団の聖園を造作した。

11.(662) 彼に、聖園を施して、〔満足し〕笑喜し、畏怖の意ある者となる。〔三つの〕帰依所を、さらには、五つの戒を、堅固に作り為して、〔わたしは〕受持した。

12.(663) 僧団の中央に坐して、その覚者もまた、わたしのことを予言した。「十八の百カッパにおいて、この者は、覚者と成るであろう。

13.(664) 〔刻苦の〕精励を精励して……略……。〔わたしたちは〕この方(ゴータマ・ブッダ)の面前に有るでしょう」〔と〕。

14.(665) 彼の言葉を聞いて、さらに、より一層、〔わたしは〕心を清めた。十の最奥義の円満のために、より以上に、掟を確立した。

15.(666) 〔ピヤダッシン覚者が生を受けた〕城市は、スダンニャという名であり、スダッタという名の士族が〔父として〕、チャンダーという名の生む者が〔母として〕存した――〔世の〕教師たるピヤダッシンには。

16.(667) 九の千年のあいだ、彼は、家に止まり住んだ。スニンマラ、ヴィマラ、ギリグハー〔という名〕の三つの最上の高楼が〔有った〕。

17.(668) しかして、三十三の千の〔装いを〕十二分に作り為した女たちが〔有った〕。しかして、ヴィマラーという名の女が〔妻として〕、カンチャナーヴェーラという名の者が実子として〔有った〕。

18.(669) 四つの形相を見て、車を乗物に〔家を〕出た。六月のあいだ、最上の人士たる方は、〔刻苦〕精励の行を歩んだ。

19.(670) 梵〔天〕に乞い求められた者として存しつつ、偉大なる牟尼たるピヤダッシンは、偉大なる勇者は、〔法の〕輪を転起させた――意が喜びとするところ、ウサバ庭園において。

20.(671) パーリタ、および、サッバダッシンが、至高の弟子たちとして有った。ソービタという名の者が、奉仕者として〔有った〕――〔世の〕教師たるピヤダッシンには。

21.(672) スジャーター、および、ダンマディンナーが、至高の女弟子たちとして有った。その世尊の菩提〔樹〕は、「カクダ」と呼ばれる。

22.(673) サンダカが、まさしく、ダンマカとが、至高の奉仕者たちとして有った。ヴィサーカー、および、ダンマディンナーが、至高の女奉仕者たちとして有った。

23.(674) その覚者もまた、無量なる福徳ある方にして、八十ハッタ(長さの単位・一ハッタは約五十センチ)の高さあり、三十二の優れた特相ある方にして、サーラ〔樹〕の王のように見える。

24.(675) 火や月や太陽にも、そのような光は存在しない。同等の者なき方の、偉大なる聖賢の、彼の、〔その〕光が有ったようには。

25.(676) その天の天たる方にもまた、寿命が有ったが、それまでのあいだ、九十の千年のあいだ、眼ある方は、世に止住した。

26.(677) その覚者もまた、同等の者も同等ならざる者もなき方であり、さらには、それらの組となる者たち(弟子たち)もまた、無比なる者たちであるが、その全てが消没した。一切の形成〔作用〕は、まさに、空虚なるものではないか。

27.(678) 優れた牟尼たるピヤダッシンは、アッサッタ聖園において、涅槃に到達した者となる。まさしく、そこに、彼の、三ヨージャナの高さある、勝者の塔がある。ということで――

 ピヤダッシン世尊の伝統が、第十三となる。

16 アッタダッシン覚者の伝統

1.(679) まさしく、そこにおいて、〔すなわち、同じその〕醍醐のカッパにおいて、アッタダッシン〔という名〕の偉大なる福徳ある方が、〔世に生起した〕。大いなる闇を打破して、最上の正覚を得た者として。

2.(680) 梵〔天〕に乞い求められた者として存しつつ、法(教え)の輪を転起させた。不死〔の境処〕によって、十千〔世界〕の天〔界〕を含む世〔の人々〕を満足させた。

3.(681) その世の主たる方にもまた、三つの知悉が有った。百千の千万の者たちに、第一の〔法の〕知悉が有った。

4.(682) 覚者たるアッタダッシンが、天の巡行を歩むとき、百千の千万の者たちに、第二の〔法の〕知悉が有った。

5.(683) さらに、他に、覚者が、父の現前において説示したとき、百千の千万の者たちに、第三の〔法の〕知悉が有った。

6.(684) しかして、その偉大なる聖賢にもまた、三つの集まりが存した。煩悩の滅尽者たちのために、〔世俗の〕垢を離れる者たちのために、寂静心の者たちのために、如なる者たちのために。

7.(685) 九十八の千の者たちのために、第一の集いが存した。八十八の千の者たちのために、第二の集いが存した。

8.(686) 七十八の百千の者たちのために、第三の集いが存した。執取せずして解脱した者たちのために、〔世俗の〕垢を離れる者たちのために、大いなる聖賢たちのために。

9.(687) その時のこと、わたし(ゴータマ・ブッダ)は、烈苦する結髪の者として、〔世に生起した〕。名としてはスシーマという名の者として、大地における最勝者と敬われた者として。

10.(688) 天の曼陀羅花を、蓮華を、珊瑚樹を、天の世〔界〕から持ち運んで、正覚者を供養した。

11.(689) 偉大なる牟尼たるアッタダッシンは、その覚者もまた、わたしのことを予言した。「十八の百カッパにおいて、この者は、覚者と成るであろう。

12.(690) 〔刻苦の〕精励を精励して……略……。〔わたしたちは〕この方(ゴータマ・ブッダ)の面前に有るでしょう」〔と〕。

13.(691) 彼の言葉を聞いて、さらに、〔満足し〕笑喜し、畏怖の意ある者となる。十の最奥義の円満のために、より以上に、掟を確立した。

14.(692) 〔アッタダッシン覚者が生を受けた〕城市は、ソーバナという名であり、サーガラという名の士族が〔父として〕、スダッサナーという名の生む者が〔母として有った〕――〔世の〕教師たるアッタダッシンには。

15.(693) 十の千年のあいだ、彼は、家に止まり住んだ。アマラギリ、スギリ、ヴァーハナー〔という名〕の三つの最上の高楼が〔有った〕。

16.(694) しかして、三十三の千の〔装いを〕十二分に作り為した女たちが〔有った〕。しかして、ヴィサーカーという名の女が〔妻として〕、セーラという名の者が実子として存した。

17.(695) 四つの形相を見て、馬を乗物に〔家を〕出た。欠くことなく八月のあいだ、勝者は、〔刻苦の〕精励を精励した。

18.(696) 梵〔天〕に乞い求められた者として存しつつ、偉大なる福徳ある方たるアッタダッシンは、偉大なる勇者は、〔法の〕輪を転起させた――アノーマ庭園において、人のなかの雄牛たる方として。

19.(697) サンタと、ウパサンタとが、至高の弟子たちとして有った。アバヤという名の者が、奉仕者として〔有った〕――〔世の〕教師たるアッタダッシンには。

20.(698) まさしく、ダンマーと、スダンマーとが、至高の女弟子たちとして有った。その世尊の菩提〔樹〕は、「チャンパカ」と呼ばれる。

21.(699) ナクラと、ニサバとが、至高の奉仕者たちとして有った。マキラーと、スナンダーとが、至高の女奉仕者たちとして有った。

22.(700) その覚者もまた、同等の者も同等ならざる者もなき方にして、八十ハッタ(長さの単位・一ハッタは約五十センチ)の高さあり、サーラ〔樹〕の王のように、満ちた星々の王(満月)のように、美しく輝く。

23.(701) 彼の、〔生来の〕性向としての光は、幾百の千万のものにして、上に、下に、十方に、常に、〔一〕ヨージャナに充満する。

24.(702) その覚者もまた、人のなかの雄牛たる方であり、一切の有情の最上者たる牟尼であり、百千年のあいだ、眼ある方は、世に止住した。

25.(703) 無比なる光を見示して、天〔界〕を含む〔世界〕に遍照して、彼もまた、無常なることを得た者となる――燃料の火の消滅のように。

26.(704) 優れた勝者たるアッタダッシンは、アノーマ聖園において、涅槃に到達した者となる。そこかしこの地域において、遺物(遺骨)は拡張し、〔世に〕存した。ということで――

 アッタダッシン世尊の伝統が、第十四となる。

17 ダンマダッシン覚者の伝統

1.(705) まさしく、そこにおいて、〔すなわち、同じその〕醍醐のカッパにおいて、ダンマダッシン〔という名〕の偉大なる福徳ある方が、〔世に生起した〕。暗黒の闇を砕破して、天〔界〕を含む〔世界〕に輝きまさる。

2.(706) その無比なる威光ある方にもまた、法(真理)の輪を転起させることにおいて、百千の千万の者たちに、第一の〔法の〕知悉が有った。

3.(707) 覚者たるダンマダッシンが、サンジャヤ聖賢を教導したとき、そのとき、九十の千万の者たちに、第二の〔法の〕知悉が有った。

4.(708) 帝釈〔天〕(インドラ神)が、衆と共に、〔世の〕導き手のもとへと近づき行ったとき、そのとき、八十の千万の者たちに、第三の〔法の〕知悉が有った。

5.(709) その天の天たる方にもまた、三つの集まりが存した。煩悩の滅尽者たちのために、〔世俗の〕垢を離れる者たちのために、寂静心の者たちのために、如なる者たちのために。

6.(710) 覚者たるダンマダッシンが、サラナ〔の城市〕において、雨期を過ごしたとき、そのとき、百千の千万の者たちのために、第一の集いが存した。

7.(711) さらに、他に、覚者が、天〔界〕から人間〔界〕に至るとき、そのときもまた、百の千万の者たちのために、第二の集いが存した。

8.(712) さらに、他に、覚者が、払拭〔行〕(頭陀)の徳について明示したとき、そのとき、八十の千万の者たちのために、第三の集いが存した。

9.(713) その時のこと、わたし(ゴータマ・ブッダ)は、町の破壊者(インドラ神の異名)たる帝釈〔天〕として、〔世に〕存した。天の香料と花飾りによって、〔天の〕楽器によって、〔覚者を〕供養した。

10.(714) 天〔の衆〕の中央に坐して、その覚者もまた、わたしのことを予言した。「十八の百カッパにおいて、この者は、覚者と成るであろう。

11.(715) 〔刻苦の〕精励を精励して……略……。〔わたしたちは〕この方(ゴータマ・ブッダ)の面前に有るでしょう」〔と〕。

12.(716) 彼の言葉を聞いて、さらに、より一層、〔わたしは〕心を清めた。十の最奥義の円満のために、より以上に、掟を確立した。

13.(717) 〔ダンマダッシン覚者が生を受けた〕城市は、サラナという名であり、サラナという名の士族が〔父として〕、スナンダーという名の生む者が〔母として有った〕――〔世の〕教師たるダンマダッシンには。

14.(718) 八の千年のあいだ、彼は、家に止まり住んだ。アラジャ、ヴィラジャ、スダッサナ〔という名〕の三つの最上の高楼が〔有った〕。

15.(719) 四十三の千の〔装いを〕十二分に作り為した女たちが〔有った〕。ヴィチコーリという名の女が〔妻として〕、プンニャヴァッダナ〔という名の者〕が実子として〔有った〕。

16.(720) 四つの形相を見て、高楼をとおり〔家を〕出た。七日のあいだ、最上の人士たる方は、〔刻苦〕精励の行を歩んだ。

17.(721) 梵〔天〕に乞い求められた者として存しつつ、人のなかの雄牛たるダンマダッシンは、偉大なる勇者は、〔法の〕輪を転起させた――ミガダーヤ(鹿野苑)において、最上の人たる方として。

18.(722) パドゥマ、および、プッサデーヴァが、至高の弟子たちとして有った。スネッタという名の者が、奉仕者として〔有った〕――〔世の〕教師たるダンマダッシンには。

19.(723) ケーマーと、サッチャナーマーとが、至高の女弟子たちとして有った。その世尊の菩提〔樹〕は、「ビンビジャーラ」と呼ばれる。

20.(724) スバッダが、まさしく、カティッサハとが、至高の奉仕者たちとして有った。サーリヤーと、カリヤーとが、至高の女奉仕者たちとして有った。

21.(725) その覚者もまた、同等の者も同等ならざる者もなき方にして、八十ハッタ(長さの単位・一ハッタは約五十センチ)の高さあり、十千〔世〕界において、威光によって輝きまさる。

22.(726) あたかも、美しく花ひらいたサーラ〔樹〕の王のように、空の雷光のように、日中の太陽のように、このように、彼は、美しく輝いた。

23.(727) その無比なる方にもまた、同等のものとして生命が存した。百千年のあいだ、眼ある方は、世に止住した。

24.(728) 光輝を見示して、〔世俗の〕垢を離れる教えを作り為して、空の月のように、死滅した。彼は、弟子と共に、涅槃に到達した者となる。

25.(729) 偉大なる勇者たるダンマダッシンは、サーラ聖園において、涅槃に到達した者となる。まさしく、そこに、彼の、三ヨージャナの高さある、優美なる塔がある。ということで――

 ダンマダッシン世尊の伝統が、第十五となる。

18 シッダッタ覚者の伝統

1.(730) ダンマダッシンの後に、シッダッタという名の〔世の〕導き手が、〔世に生起した〕。一切の闇を打破して、昇った太陽のように。

2.(731) 彼もまた、正覚を得て、天〔界〕を含む〔世の人々〕を〔彼岸へと〕超え渡しながら、天〔界〕を含む〔世の人々〕を涅槃に到達させながら、法(教え)の雨雲によって雨を降らせた。

3.(732) その無比なる方にもまた、三つの知悉が有った。百千の千万の者たちに、第一の〔法の〕知悉が有った。

4.(733) さらに、他に、ビーマラタにおいて雷鼓を打ったとき、そのとき、九十の千万の者たちに、第二の〔法の〕知悉が有った。

5.(734) 最上の都たるヴェーバーラにおいて、その覚者が、法(教え)を説示したとき、そのとき、九十の千万の者たちに、第三の〔法の〕知悉が有った。

6.(735) その最上の二足者たる方にもまた、三つの集まりが存した。煩悩の滅尽者たちのために、〔世俗の〕垢を離れる者たちのために、寂静心の者たちのために、如なる者たちのために。

7.(736) 百の千万の者たちのために、九十〔の千万の者たち〕のために、さらには、八十の千万の者たちのためにもまた。これらの三つの場が、集いにおいて、〔世俗の〕垢を離れる者たちのために存した。

8.(737) その時のこと、わたし(ゴータマ・ブッダ)は、マンガラという名の苦行者として、〔世に生起した〕。烈火の者として、負かし難き者として、〔六つの〕神知と〔五つの〕力ある〔心が〕定められた者として。

9.(738) ジャンブ〔樹〕から果実をもってきて、わたしは、シッダッタに施した。納受して〔そののち〕、正覚者は、この言葉を説いた。

10.(739) 「見よ、この苦行者を、烈苦する結髪者を。これよりのち、九十四カッパにおいて、この者は、覚者と成るであろう。

11.(740) 〔刻苦の〕精励を精励して……略……。〔わたしたちは〕この方(ゴータマ・ブッダ)の面前に有るでしょう」〔と〕。

12.(741) 彼の言葉を聞いて、さらに、より一層、〔わたしは〕心を清めた。十の最奥義の円満のために、より以上に、掟を確立した。

13.(742) 〔シッダッタ覚者が生を受けた〕城市は、ヴェーバーラという名であり、ウデーナという名の士族が〔父として〕、スパッサーという名の生む者が〔母として有った〕――偉大なる聖賢たるシッダッタには。

14.(743) 十の千年のあいだ、彼は、家に止まり住んだ。コーカーサ、ウッパラ、コーカナダ〔という名〕の三つの最上の高楼が〔有った〕。

15.(744) 三の十六の千(四万八千)の〔装いを〕十二分に作り為した女たちが〔有った〕。ソーマナッサーという名のその女が〔妻として〕、アヌーパマという名の者が実子として〔有った〕。

16.(745) 四つの形相を見て、駕篭〔を乗物〕に〔家を〕出た。欠くことなく十月のあいだ、勝者は、〔刻苦の〕精励を精励した。

17.(746) 梵〔天〕に乞い求められた者として存しつつ、世の導き手たるシッダッタは、偉大なる勇者は、〔法の〕輪を転起させた――ミガダーヤ(鹿野苑)において、最上の人たる方として。

18.(747) サンバラと、スミッタとが、至高の弟子たちとして有った。レーヴァタという名の者が、奉仕者として〔有った〕――偉大なる聖賢たるシッダッタには。

19.(748) シーヴァラーと、スラーマーとが、至高の女弟子たちとして有った。その世尊の菩提〔樹〕は、「カニカーラ」と呼ばれる。

20.(749) スッピヤと、サムッダとが、至高の奉仕者たちとして有った。まさしく、ランマーと、スランマーとが、至高の女奉仕者たちとして有った。

21.(750) その覚者は、天空高く、六十ラタナ(長さの単位・一ラタナは約五十センチ)〔の高さ〕ある者として、〔世に〕有った。価値ある黄金の似姿にして、十千〔世界〕に遍照する。

22.(751) その覚者もまた、同等の者も同等ならざる者もなき方であり、無比にして対する人なき方であり、百千年のあいだ、眼ある方は、世に止住した。

23.(752) 広大なる光を見示して、弟子たちを開花させて、入定によって麗飾して、彼は、弟子と共に、涅槃に到達した者となる。

24.(753) 覚者にして優れた牟尼たるシッダッタは、アノーマ聖園において、涅槃に到達した者となる。まさしく、そこに、彼の、四ヨージャナの高さある、優美なる塔がある。ということで――

 シッダッタ世尊の伝統が、第十六となる。

19 ティッサ覚者の伝統

1.(754) シッダッタの後に、同等の者なく対する人なき方として、無終なる威光あり無量なる福徳ある方として、ティッサ〔という名〕の世の至高の導き手が、〔世に生起した〕。

2.(755) 暗黒の闇を砕破して、天〔界〕を含む〔世界〕を照らして、慈しみある方として、偉大なる勇者として、眼ある方が、世に生起した。

3.(756) 彼にもまた、無比なる神通があり、無比なる戒があり、さらには、〔心の〕統一があり、一切所において最奥義に至って、法(真理)の輪を転起させた。

4.(757) 彼は、覚者として、十千〔世界〕にたいし、清らかな言葉を教授する。第一の法(教え)の説示において、百の千万の者たちが、〔法を〕知悉した。

5.(758) 第二〔の法の説示〕は、九十の千万の者たちのために。第三〔の法の説示〕は、六十の千万の者たちが、〔法を知悉した〕。人のなかの神たる方は、そのとき、有情たちを結縛から解き放った。

6.(759) 世の至高の導き手たるティッサにおいて、三つの集まりが存した。煩悩の滅尽者たちのために、〔世俗の〕垢を離れる者たちのために、寂静心の者たちのために、如なる者たちのために。

7.(760) 百千の煩悩の滅尽者たちのために、第一の集いが存した。九十の百千の者たちのために、第二の集いが存した。

8.(761) 八十の百千の者たちのために、第三の集いが存した。煩悩の滅尽者たちのために、〔世俗の〕垢を離れる者たちのために、解脱において花ひらいた者たちのために。

9.(762) その時のこと、わたし(ゴータマ・ブッダ)は、スジャータという名の士族として、〔世に生起した〕。大いなる財物を捨て放って、聖賢としての出家〔の道〕に出家した。

10.(763) わたしが、出家者として存しているとき、世の導き手が生起した。「覚者です」という、〔人々の〕声を聞いて、わたしに、喜悦が生まれた。

11.(764) 天の曼陀羅花を、蓮華を、珊瑚樹を、両の手で差し出して、震えながら近づき行った。

12.(765) 四つの階級の者たちに取り囲まれた方に、世の至高の導き手たるティッサに、彼に、勝者に、わたしは、花を携えて、頭上に掲げた。

13.(766) 人たちの中央に坐して、その覚者もまた、わたしのことを予言した。「これよりのち、九十二カッパにおいて、この者は、覚者と成るであろう。

14.(767) 〔刻苦の〕精励を精励して……略……。〔わたしたちは〕この方(ゴータマ・ブッダ)の面前に有るでしょう」〔と〕。

15.(768) 彼の言葉を聞いて、さらに、より一層、〔わたしは〕心を清めた。十の最奥義の円満のために、より以上に、掟を確立した。

16.(769) 〔ティッサ覚者が生を受けた〕城市は、ケーマカという名であり、ジャナサンダという名の士族が〔父として〕、パドゥマーという名の生む者が〔母として有った〕――しかして、偉大なる聖賢たるティッサには。

17.(770) 七千年のあいだ、彼は、家に止まり住んだ。グハーセーラ、ナーリー、ニサバー〔という名〕の三つの最上の高楼が〔有った〕。

18.(771) 正味三十の千の〔装いを〕十二分に作り為した女たちが〔有った〕。スバッダーという名の女が〔妻として〕、アーナンダという名の者が実子として〔有った〕。

19.(772) 四つの形相を見て、馬を乗物に〔家を〕出た。欠くことなく八月のあいだ、勝者は、〔刻苦の〕精励を精励した。

20.(773) 梵〔天〕に乞い求められた者として存しつつ、世の至高の導き手たるティッサは、偉大なる勇者は、〔法の〕輪を転起させた――ヤサヴァティーの最上〔の都〕において。

21.(774) ブラフマデーヴァ、および、ウダヤが、至高の弟子たちとして有った。サマンガという名の者が、奉仕者として〔有った〕――しかして、偉大なる聖賢たるティッサには。

22.(775) まさしく、プッサーと、スダッターとが、至高の女弟子たちとして有った。その世尊の菩提〔樹〕は、「アサナ」と呼ばれる。

23.(776) サンバラと、まさしく、シリマントとが、至高の奉仕者たちとして有った。キサーゴータミー、ウパセーナーが、至高の女奉仕者たちとして有った。

24.(777) その覚者は、勝者は、高さにして、六十ラタナ(長さの単位・一ラタナは約五十センチ)〔の高さ〕ある者として、〔世に〕有った。喩えなき方にして、等しき者なき方であり、ヒマヴァント(ヒマラヤ)のように見える。

25.(778) その無比なる威光ある方にもまた、無上なる寿命が有った。百千年のあいだ、眼ある方は、世に止住した。

26.(779) 最上にして、最も優れた、最勝のものとして、偉大なる福徳を味わい楽しんで、火の集塊“かたまり”のように燃え盛って、彼は、弟子と共に、涅槃に到達した者となる。

27.(780) 雷雲が、風によって〔消滅する〕ように、露が、太陽によって〔消滅する〕ように、暗黒が、灯明によって〔消滅する〕ように、彼は、弟子と共に、涅槃に到達した者となる。

28.(781) 優れた勝者にして覚者たるティッサは、ナンダ聖園において、涅槃に到達した者となる。まさしく、そこに、彼の、三ヨージャナの高さある、勝者の塔がある。ということで――

 ティッサ世尊の伝統が、第十七となる。

20 プッサ覚者の伝統

1.(782) まさしく、そこにおいて、〔すなわち、同じその〕醍醐のカッパにおいて、無上なる〔世の〕教師が、〔世に〕有った。喩えなく同等の者も同等ならざる者もなき方として、プッサ〔という名〕の世の至高の導き手が、〔世に生起した〕。

2.(783) 彼もまた、一切の闇を打ち砕いて、大いなる結束を解きほぐして、天〔界〕を含む〔世の人々〕を満足させながら、不死の水によって雨を降らせた。

3.(784) プッサが、星祭りの祝事において、法(真理)の輪を転起させているとき、百千の千万の者たちに、第一の〔法の〕知悉が有った。

4.(785) 九十の百千の者たちに、第二の〔法の〕知悉が有った。八十の百千の者たちに、第三の〔法の〕知悉が有った。

5.(786) 偉大なる聖賢たるプッサにもまた、三つの集まりが存した。煩悩の滅尽者たちのために、〔世俗の〕垢を離れる者たちのために、寂静心の者たちのために、如なる者たちのために。

6.(787) 六十の百千の者たちのために、第一の集いが存した。五十の百千の者たちのために、第二の集いが存した。

7.(788) 四十の百千の者たちのために、第三の集いが存した。執取せずして解脱した者たちのために、結生を分断した者たちのために。

8.(789) その時のこと、わたし(ゴータマ・ブッダ)は、ヴィジターヴィンという名の士族として、〔世に生起した〕。大いなる王国を捨て放って、彼の現前において出家した。

9.(790) 世の至高の導き手たるプッサは、その覚者もまた、わたしのことを予言した。「これよりのち、九十二カッパにおいて、この者は、覚者と成るであろう。

10.(791) 〔刻苦の〕精励を精励して……略……。〔わたしたちは〕この方(ゴータマ・ブッダ)の面前に有るでしょう」〔と〕。

11.(792) 彼の言葉を聞いて、さらに、より一層、〔わたしは〕心を清めた。十の最奥義の円満のために、より以上に、掟を確立した。

12.(793) 経典を、さらには、また、律を、九つの支分ある教師の教えを、〔その〕全てを、完全に学び取って、勝者の教えを荘厳した。

13.(794) そこにおいて、〔気づきを〕怠ることなく〔世に〕住しつつ、〔四つの〕梵の修行(慈・悲・喜・捨の四無量心)を修めて、〔六つの〕神知における最奥義に至って、わたしは、梵世へと赴いた(梵天界に再生した)。

14.(795) 〔プッサ覚者が生を受けた〕城市は、カーシカという名であり、ジャヤセーナという名の士族が〔父として〕、シリマーという名の生む者が〔母として有った〕――偉大なる聖賢たるプッサにもまた。

15.(796) 九十の千年のあいだ、彼は、家に止まり住んだ。ガルラパッカ、ハンサ、スヴァンナバーラー〔という名〕の三つの最上の高楼が〔有った〕。

16.(797) 三十の千の婦女が、〔装いを〕十二分に作り為した女たちが〔有った〕。キサーゴータミーという名の女が〔妻として〕、アヌーパマという名の者が実子として〔有った〕。

17.(798) 四つの形相を見て、象を乗物に〔家を〕出た。六月のあいだ、最上の人士たる方は、〔刻苦〕精励の行を歩んだ。

18.(799) 梵〔天〕に乞い求められた者として存しつつ、世の至高の導き手たるプッサは、偉大なる勇者は、〔法の〕輪を転起させた――ミガダーヤにおいて、最上の人たる方として。

19.(800) スラッキタ、ダンマセーナが、至高の弟子たちとして有った。サビヤという名の者が、奉仕者として〔有った〕――偉大なる聖賢たるプッサにもまた。

20.(801) チャーラーと、ウパチャーラーとが、至高の女弟子たちとして有った。その世尊の菩提〔樹〕は、「アーマンダ」と呼ばれる。

21.(802) ダナンチャヤ、および、ヴィサーカが、至高の奉仕者たちとして有った。まさしく、パドゥマーと、ナーガーとが、至高の女奉仕者たちとして有った。

22.(803) その牟尼もまた、五十八ラタナ(長さの単位・一ラタナは約五十センチ)を超える高さあり、百光のように、満ちた星々の王(満月)のように、美しく輝く。

23.(804) 九十の千年のあいだ、まさしく、そのあいだ、寿命が見い出される。彼は、〔世に〕止まり住んでいる、それまでのあいだに、多くの人民を〔彼岸へと〕超え渡した。

24.(805) 多くの有情たちを教え諭して、多くの人たちを超え渡して、彼もまた、〔世の〕教師にして無比なる福徳ある方は、彼は、弟子と共に、涅槃に到達した者となる。

25.(806) 優れた勝者にして〔世の〕教師たるプッサは、セーナ聖園において、涅槃に到達した者となる。そこかしこの地域において、遺物(遺骨)は拡張し、〔世に〕存した。ということで――

 プッサ世尊の伝統が、第十八となる。

21 ヴィパッシン覚者の伝統

1.(807) さらには、プッサの後に、最上の二足者たる正覚者として、名としてはヴィパッシンという名の方が、眼ある方として、世に生起した。

2.(808) 一切の無明を破って、最上の正覚を得た者として。法(真理)の輪を転起させるために、バンドゥマティーの都を出た。

3.(809) 法(真理)の輪を転起させて、〔世の〕導き手は、〔出家と在家の〕両者を覚らせた。数をもっては説かれようのないものとして、第一の〔法の〕知悉が有った。

4.(810) さらに、他に、無量なる福徳ある方は、そこにおいて、真理を明示した。八十四の千の者たちに、第二の〔法の〕知悉が有った。

5.(811) 八十四の千の者たちが、正覚者に従い出家した。彼らが、聖園に至り得たとき、眼ある方は、法(教え)を説示した。

6.(812) 一切の行相をもって語っていると、聞いて〔そののち〕、機縁ある者たちは、彼らもまた、優れた法(真理)に至って、第三の〔法の〕知悉が有った。

7.(813) 偉大なる聖賢たるヴィパッシンには、三つの集まりが存した。煩悩の滅尽者たちのために、〔世俗の〕垢を離れる者たちのために、寂静心の者たちのために、如なる者たちのために。

8.(814) 六十八の百千のたちのために、第一の集いが存した。百千の比丘たちのために、第二の集いが存した。

9.(815) 八十の千の比丘たちのために、第三の集いが存した。そこにおいて、比丘の僧団の中において、正覚者は輝きまさる。

10.(816) その時のこと、わたし(ゴータマ・ブッダ)は、大いなる神通ある龍王として、〔世に生起した〕。名としてはアトゥラという名の者として、功徳ある者として、光輝を保つ者として。

11.(817) そのとき、わたしは、幾千万の龍たちを取り巻きとして、諸々の天の楽器をもって奏でつつ、世の最尊者たる方のもとへと近づき行った。

12.(818) 正覚者に、世の導き手たるヴィパッシンに、近しく赴いて、宝珠と真珠の宝玉をもってあしらわれ、一切の装飾品をもって飾り立てられた、黄金の椅子を、法(真理)の王に、招請して、わたしは施した。

13.(819) 僧団の中央に坐して、その覚者もまた、わたしのことを予言した。「これよりのち、九十一カッパにおいて、この者は、覚者と成るであろう。

14.(820) ああ、カピラという呼び名ある喜ばしき〔都〕から出て、如来は、〔刻苦の〕精励を精励して、為すに為し難きことを為して――

15.(821) アジャパーラ樹の根元に坐して、如来は、そこにおいて、粥を受けて、ネーランジャラー〔川〕へと近づき行くであろう。

16.(822) ネーランジャラー〔川〕の岸辺で、その勝者は、粥を食したあと、〔見事に〕整備された優美なる道をとおり、菩提〔樹〕の根元へと近づき行くであろう。

17.(823) そののち、菩提道場に右回り〔の礼〕を為して、無上なる者は、偉大なる福徳ある者は、アッサッタ〔樹〕の根元において、正覚を覚るであろう。

18.(824) この者の生みの母は、マーヤーという名の者と成るであろう。父は、スッドーダナという名の者と〔成るであろう〕。この者〔の姓〕は、ゴータマと成るであろう。

19.(825) 煩悩なく、貪欲を離れ、寂静心の者たちにして、〔心が〕定められた者たち、コーリタ(マハーモッガッラーナ)、および、ウパティッサ(サーリプッタ)が、至高の弟子たち(二大弟子)と成るであろう。アーナンダという名の奉仕者(侍者)が、この勝者に奉仕するであろう。

20.(826) ケーマー、および、ウッパラヴァンナーが、至高の女弟子たちと成るであろう。煩悩なく、貪欲を離れ、寂静心の者たちにして、〔心が〕定められた者たちとして。その世尊の菩提〔樹〕は、『アッサッタ』と呼ばれる。

21.(827) チッタ、および、ハッターラヴァカが、至高の奉仕者たちと成るであろう。ナンダの母、および、ウッタラーが、至高の女奉仕者たちと成るであろう。福徳あるゴータマには、彼には、百年の寿命が〔有るであろう〕」〔と〕。

22.(828) この言葉を聞いて……略……。〔わたしたちは〕この方(ゴータマ・ブッダ)の面前に有るでしょう」〔と〕。

23.(829) 彼の言葉を聞いて、わたしは、より一層、心を清めた。十の最奥義の円満のために、より以上に、掟を確立した。

24.(830) 〔ヴィパッシン覚者が生を受けた〕城市は、バンドゥマティーという名であり、バンドゥマントという名の士族が〔父として〕、バンドゥマティーという名の者が母として〔有った〕――偉大なる聖賢たるヴィパッシンには。

25.(831) 八の千年のあいだ、彼は、家に止まり住んだ。ナンダ、スナンダ、シリマー〔という名〕の三つの最上の高楼が〔有った〕。

26.(832) 四十三の千の〔装いを〕十二分に作り為した女たちが〔有った〕。スダッサナーという名のその女が〔妻として〕、サマヴァッタッカンダという名の者が実子として〔有った〕。

27.(833) 四つの形相を見て、車を乗物に〔家を〕出た。欠くことなく八月のあいだ、勝者は、〔刻苦の〕精励を精励した。

28.(834) 梵〔天〕に乞い求められた者として存しつつ、世の至高の導き手たるヴィパッシンは、偉大なる勇者は、〔法の〕輪を転起させた――ミガダーヤにおいて、最上の人たる方として。

29.(835) カンダと、ティッサという名の者とが、至高の弟子たちとして有った。アソーカという名の者が、奉仕者として〔有った〕――偉大なる聖賢たるヴィパッシンには。

30.(836) チャンダーと、チャンダミッターとが、至高の女弟子たちとして有った。その世尊の菩提〔樹〕は、「パータリー」と呼ばれる。

31.(837) プナッバスミッタ、および、ナーガが、至高の奉仕者たちとして有った。シリマーが、まさしく、ウッタラーとが、至高の女奉仕者たちとして有った。

32.(838) 世の導き手たるヴィパッシンは、八十ハッタ(長さの単位・一ハッタは約五十センチ)の高さあり、彼の光が、遍きにわたり、七ヨージャナにおいて放たれる。

33.(839) 八十の千年のあいだ、まさしく、そのあいだ、覚者には、寿命が〔見い出される〕。彼は、〔世に〕止まり住んでいる、それまでのあいだに、多くの人民を〔彼岸へと〕超え渡した。

34.(840) 多くの天〔の神々〕と人間たちのために、〔彼らを〕結縛から完全に解き放った。さらには、残りの凡夫たちに、道と非道を告げ知らせた。

35.(841) 光明を見示して、不死の境処(涅槃)を説示して、火の集塊“かたまり”のように燃え盛って、彼は、弟子と共に、涅槃に到達した者となる。

36.(842) 優れた神通が、優れた功徳が、花ひらいた特相も、その全てが消没した。一切の形成〔作用〕は、まさに、空虚なるものではないか。

37.(843) 優れた勝者にして覚者たるヴィパッシンは、スミッタ聖園において、涅槃に到達した者となる。まさしく、そこに、彼の、七ヨージャナの高さある、優美なる塔がある。ということで――

 ヴィパッシン世尊の伝統が、第十九となる。

22 シキン覚者の伝統

1.(844) ヴィパッシンの後に、最上の二足者たる正覚者として、同等の者なく対する人なき方として、シキンという呼び名の勝者が、〔世に〕存した。

2.(845) 悪魔の軍団を砕破して、最上の正覚を得た方は、法(真理)の輪を転起させた。慈しみ〔の思い〕によって、生ある者たちのために。

3.(846) 勝者にして牛主たるシキンが、法(真理)の輪を転起させているとき、百千の千万の者たちに、第一の〔法の〕知悉が有った。

4.(847) 他にもまた、衆のなかの最勝者にして最上の人たる方が、法(教え)を説示しているとき、九十の千の千万の者たちに、第二の〔法の〕知悉が有った。

5.(848) さらには、対なる神変を、天〔界〕を含む〔世の人々〕たちに見示しているとき、八十の千の千万の者たちに、第三の〔法の〕知悉が有った。

6.(849) 偉大なる聖賢たるシキンにもまた、三つの集まりが存した。煩悩の滅尽者たちのために、〔世俗の〕垢を離れる者たちのために、寂静心の者たちのために、如なる者たちのために。

7.(850) 百千の比丘たちのために、第一の集いが存した。八十の千の比丘たちのために、第二の集いが存した。

8.(851) 七十の千の比丘たちのために、第三の集いが存した。水のなかで成長した蓮華のように、汚れなきものとして。

9.(852) その時のこと、わたし(ゴータマ・ブッダ)は、アリンダマという名の士族として、〔世に生起した〕。正覚者を頂とする僧団を、食べ物と飲み物によって満足させた。

10.(853) 多くの優れた布を施して、少なからざる千万の布を、〔装いを〕十分に作り為した象の乗物を、わたしは、正覚者に施した。

11.(854) 象の乗物を、適切なるものに化作して、差し出した。常に、断固として現起したものとして、わたしの意を満たした。

12.(855) 世の至高の導き手たるシキンは、その覚者もまた、わたしのことを予言した。「これよりのち、三十一カッパにおいて、この者は、覚者と成るであろう。

13.(856) ああ、カピラという呼び名ある喜ばしき〔都〕から……略……。〔わたしたちは〕この方(ゴータマ・ブッダ)の面前に有るでしょう」〔と〕。

14.(857) 彼の言葉を聞いて、わたしは、より一層、心を清めた。十の最奥義の円満のために、より以上に、掟を確立した。

15.(858) 〔シキン覚者が生を受けた〕城市は、アルナヴァティーという名であり、アルナという名の士族が〔父として〕、パバーヴァティーという名の生む者が〔母として有った〕――偉大なる聖賢たるシキンにもまた。

16.(859) 七の千年のあいだ、彼は、家に止まり住んだ。スチャンダカ、ギリ、ヴァサバ〔という名〕の三つの最上の高楼が〔有った〕。

17.(860) 二十四の千の〔装いを〕十二分に作り為した女たちが〔有った〕。サッバカーマーという名の女が〔妻として〕、アトゥラという名の者が実子として〔有った〕。

18.(861) 四つの形相を見て、象を乗物に〔家を〕出た。八月のあいだ、最上の人士たる方は、〔刻苦〕精励の行を歩んだ。

19.(862) 梵〔天〕に乞い求められた者として存しつつ、世の至高の導き手たるシキンは、偉大なる勇者は、〔法の〕輪を転起させた――ミガダーヤにおいて、最上の人たる方として。

20.(863) アビブーが、まさしく、サンバヴァとが、至高の弟子たちとして有った。ケーマンカラという名の者が、奉仕者として〔有った〕――偉大なる聖賢たるシキンにもまた。

21.(864) サキラーと、パドゥマーとが、至高の女弟子たちとして有った。その世尊の菩提〔樹〕は、「プンダリーカ」と呼ばれる。

22.(865) シリヴァッダと、ナンダとが、至高の奉仕者たちとして有った。まさしく、チッターと、スグッターが、至高の女奉仕者たちとして有った。

23.(866) その覚者は、高さにして、七十ハッタ(長さの単位・一ハッタは約五十センチ)の高さあり、価値ある黄金の似姿にして、三十二の優れた特相ある方として、〔世に有った〕。

24.(867) 彼の、〔一〕ヴヤーマ(尋:長さの単位・一ヴヤーマは約二メートル)の光ある身体からもまた、昼夜のあいだ、間断なく、諸々の光が、三ヨージャナにわたり、方々に放たれる。

25.(868) 七十の千年のあいだ、その偉大なる聖賢には、寿命が〔見い出される〕。彼は、〔世に〕止まり住んでいる、それまでのあいだに、多くの人民を〔彼岸へと〕超え渡した。

26.(869) 法(教え)の雨雲を降らせて、天〔界〕を含む〔世の人々〕たちを潤して、平安の終極へと至らせて、彼は、弟子と共に、涅槃に到達した者となる。

27.(870) 〔八十の〕微細なる特徴の成就が、三十二の優れた特相が、その全てが消没した。一切の形成〔作用〕は、まさに、空虚なるものではないか。

28.(871) 優れた牟尼にして覚者たるシキンは、アッサ聖園において、涅槃に到達した者となる。まさしく、そこに、彼の、三ヨージャナの高さある、優美なる塔がある。ということで――

 シキン世尊の伝統が、第二十となる。

23 ヴェッサブー覚者の伝統

1.(872) まさしく、そこにおいて、〔すなわち、同じその〕醍醐のカッパにおいて、同等の者なく対する人なき方として、名としてはヴェッサブーという名の方が、〔世の〕導き手として、世に生起した。

2.(873) そのとき、まさに、燃え盛る貪欲の火を、諸々の渇愛の征圧するところを、象のように、結縛を断ち切って、最上の正覚を得た方として。

3.(874) 世の導き手たるヴェッサブーが、法(真理)の輪を転起させているとき、八十の千の千万の者たちに、第一の〔法の〕知悉が有った。

4.(875) 世の最尊者たる方が、人のなかの雄牛たる方が、国土において、遊行〔の旅〕に出たとき、七十の千の千万の者たちに、第二の〔法の〕知悉が有った。

5.(876) 〔人々の誤った〕大いなる見解を取り除きながら、彼は、神変を為す。集いあつまった人や神たちが、十千〔世界〕の天〔界〕を含む〔世界〕における――

6.(877) 大いなる稀有なることを見て、未曾有のことを〔見て〕、〔大いなる歓喜に〕身の毛のよだつことを〔見て〕、まさしく、天〔の神々〕たちと、人間たちと、六十の千万の者たちが覚る。

7.(878) 偉大なる聖賢たるヴェッサブーには、三つの集まりが存した。煩悩の滅尽者たちのために、〔世俗の〕垢を離れる者たちのために、寂静心の者たちのために、如なる者たちのために。

8.(879) 八十の千の比丘たちのために、第一の集いが存した。七十の千の比丘たちのために、第二の集いが存した。

9.(880) 六十の千の比丘たちのために、第三の集いが存した。老等の恐怖に恐怖した者たちのために、偉大なる聖賢の正嫡たちのために。

10.(881) その時のこと、わたし(ゴータマ・ブッダ)は、スダッサナという名の士族として、〔世に生起した〕。偉大なる勇者を招いて、大いなる布施を施して、わたしは、食べ物と飲み物によって、衣によって、勝者を、僧団と共に供養した。

11.(882) その覚者の、同等の者なき方の、転起させられた最上の輪を〔聞いて〕、精妙なる法(真理)を聞いて、〔わたしは〕出家を乞い願った。

12.(883) 大いなる布施を転起させて、夜に昼に、休みなく〔精進し〕、〔戒の〕徳を成就した出家を〔求めて〕、聖者の現前において出家した。

13.(884) 行状“おこない”の徳を成就した者として、行持と戒ある〔心が〕定められた者として、一切知者たることを求めつつ、勝者の教えを喜ぶ。

14.(885) 信と喜悦に近づき行って、〔世の〕教師たる覚者を敬拝する。わたしに、喜悦が生起する。まさしく、覚りのために、契機たることから。

15.(886) 〔わたしの〕退転なき意を知って、正覚者は、このことを説いた。「これよりのち、三十一カッパにおいて、この者は、覚者と成るであろう。

16.(887) ああ、カピラという呼び名ある喜ばしき〔都〕から……略……。〔わたしたちは〕この方(ゴータマ・ブッダ)の面前に有るでしょう」〔と〕。

17.(888) 彼の言葉を聞いて、わたしは、より一層、心を清めた。十の最奥義の円満のために、より以上に、掟を確立した。

18.(889) 〔ヴェッサブー覚者が生を受けた〕城市は、アノーマという名であり、スッパティータという名の士族が〔父として〕、ヤサヴァティーという名の者が母として〔有った〕――偉大なる聖賢たるヴェッサブーには。

19.(890) しかして、六の千年のあいだ、彼は、家に止まり住んだ。ルチ、スルチ、ラティヴァッダナ〔という名〕の三つの最上の高楼が〔有った〕。

20.(891) 欠くことなく三十の千の〔装いを〕十二分に作り為した女たちが〔有った〕。スチッターという名のその女が〔妻として〕、スッパブッダという名の者が実子として〔有った〕。

21.(892) 四つの形相を見て、駕篭〔を乗物〕に〔家を〕出た。六月のあいだ、最上の人士たる方は、〔刻苦〕精励の行を歩んだ。

22.(893) 梵〔天〕に乞い求められた者として存しつつ、世の導き手たるヴェッサブーは、偉大なる勇者は、〔法の〕輪を転起させた――アルナ聖園において、最上の人たる方として。

23.(894) ソーナと、まさしく、ウッタラとが、至高の弟子たちとして有った。ウパサンタという名の者が、奉仕者として〔有った〕――偉大なる聖賢たるヴェッサブーには。

24.(895) まさしく、ラーマーと、サマーラーとが、至高の女弟子たちとして有った。その世尊の菩提〔樹〕は、「マハーサーラ」と呼ばれる。

25.(896) まさしく、ソッティカと、ランバとが、至高の奉仕者たちとして有った。ゴータミーが、まさしく、シリマーとが、至高の女奉仕者たちとして有った。

26.(897) 金の祭柱に等しき喩えある方は、六十ラタナ(長さの単位・一ラタナは約五十センチ)の高さあり、夜に、山〔の頂上〕で、炎が〔煌めく〕ように、〔彼の〕身体から、光が放たれる。

27.(898) 六十の千年のあいだ、その偉大なる聖賢には、寿命が〔見い出される〕。彼は、〔世に〕止まり住んでいる、それまでのあいだに、多くの人民を〔彼岸へと〕超え渡した。

28.(899) 法(真理)の拡張を為して、大勢の人を〔境涯のままに〕区分して、法(教え)の舟を〔確固たるものに〕据え置いて、彼は、弟子と共に、涅槃に到達した者となる。

29.(900) 美しき全ての人が、精舎が、振る舞いの道が、その全てが消没した。一切の形成〔作用〕は、まさに、空虚なるものではないか。

30.(901) 優れた勝者にして〔世の〕教師たるヴェッサブーは、ケーマ聖園において、涅槃に到達した者となる。そこかしこの地域において、遺物(遺骨)は拡張し、〔世に〕存した。ということで――

 ヴェッサブー世尊の伝統が、第二十一となる。

24 カクサンダ覚者の伝統

1.(902) ヴェッサブーの後に、最上の二足者たる正覚者として、名としてはカクサンダという名の方が、〔雄牛の如く〕量るべくもなく〔獅子の如く〕近づき難き方として、〔世に生起した〕。

2.(903) 一切の生存を撤去して、性行“おこない”における最奥義に至った者として。獅子のように、檻を破って、最上の正覚を得た者として。

3.(904) 世の導き手たるカクサンダが、法(真理)の輪を転起させているとき、四十の千の千万の者たちに、第一の〔法の〕知悉が有った。

4.(905) 空中において、虚空において、対なる変異を為して、三十の千の千万の天〔の神々〕と人間たちを覚らせた。

5.(906) 人と天〔の神〕のための、夜叉のための、四つの真理の明示においては、そのばあいの、法(真理)の知悉は、数〔の観点〕からは数えようもない。

6.(907) カクサンダ世尊には、一つの集まりが存した。煩悩の滅尽者たちのために、〔世俗の〕垢を離れる者たちのために、寂静心の者たちのために、如なる者たちのために。

7.(908) そのとき、四十の千の者たちのために、集いが存した。煩悩の敵衆の滅尽あることから、調御された境地を獲得した者たちのために。

8.(909) その時のこと、わたし(ゴータマ・ブッダ)は、ケーマという名の士族として、〔世に〕存した。如来にたいし、勝者の子にたいし、少なからざる布施を施して――

9.(910) しかして、鉢を、衣料を、塗薬を、甘草を、施して〔そののち〕、これらを、〔まさに〕その、切望された全てのものを、優れに優れたものとして設える。

10.(911) 〔世の〕導き手たるカクサンダは、その覚者もまた、わたしのことを予言した。「この幸いなるカッパにおいて、この者は、覚者と成るであろう。

11.(912) ああ、カピラという呼び名ある喜ばしき〔都〕から……略……。〔わたしたちは〕この方(ゴータマ・ブッダ)の面前に有るでしょう」〔と〕。

12.(913) 彼の言葉を聞いて、さらに、より一層、〔わたしは〕心を清めた。十の最奥義の円満のために、より以上に、掟を確立した。

13.(914) 〔カクサンダ覚者が生を受けた〕城市は、ケーマーヴァティーという名であり、そのとき、わたしは、ケーマという名の者として、〔世に〕存した。一切知者たることを求めつつ、彼の現前において出家した。

14.(915) しかして、婆羅門アッギダッタが、彼が、覚者の父として存した。ヴィサーカーという名の生む者が〔母として有った〕――〔世の〕教師たるカクサンダには。

15.(916) 正覚者の大いなる家系は、そこにおいて、〔すなわち〕ケーマの都のうちに住む。人たちのなかの、最も優れた最勝の〔家系〕として、出生“うまれ”よく大いなる福徳ある〔家系〕として。

16.(917) 四の千年のあいだ、彼は、家に止まり住んだ。カーマ、カーマヴァンナ、カーマスッディという名の三つの最上の高楼が〔有った〕。

17.(918) 正味三十の千の〔装いを〕十二分に作り為した女たちが〔有った〕。ローチニーという名のその女が〔妻として〕、ウッタラという名の者が実子として〔有った〕。

18.(919) 四つの形相を見て、車を乗物に〔家を〕出た。欠くことなく八月のあいだ、勝者は、〔刻苦の〕精励を精励した。

19.(920) 梵〔天〕に乞い求められた者として存しつつ、〔世の〕導き手たるカクサンダは、偉大なる勇者は、〔法の〕輪を転起させた――ミガダーヤにおいて、最上の人たる方として。

20.(921) ヴィドゥラと、サンジーヴァとが、至高の弟子たちとして有った。ブッディジャという名の者が、奉仕者として〔有った〕――〔世の〕教師たるカクサンダには。

21.(922) サーマーと、チャンパーナーマーとが、至高の女弟子たちとして有った。その世尊の菩提〔樹〕は、「シリーサ」と呼ばれる。

22.(923) アッチュタと、スマナとが、至高の奉仕者たちとして有った。まさしく、ナンダーと、スナンダーとが、至高の女奉仕者たちとして有った。

23.(924) 偉大なる牟尼は、四十ラタナ(長さの単位・一ラタナは約五十センチ)を超える高さあり、〔彼の〕黄金の光が、遍きにわたり、十ヨージャナに放たれる。

24.(925) 四十の千年のあいだ、その偉大なる聖賢には、寿命が〔見い出される〕。彼は、〔世に〕止まり住んでいる、それまでのあいだに、多くの人民を〔彼岸へと〕超え渡した。

25.(926) 男女のために、天〔界〕を含む〔世界〕において、法(教え)の店を拡げて、まさしく、獅子吼を吼え叫んで、彼は、弟子と共に、涅槃に到達した者となる。

26.(927) 八つの支分ある言葉の成就が、諸々の瑕疵なきものが、間断なく、その全てが消没した。一切の形成〔作用〕は、まさに、空虚なるものではないか。

27.(928) 優れた勝者たるカクサンダは、ケーマ聖園において、涅槃に到達した者となる。まさしく、そこに、彼の、天空高く、〔一〕ガーヴタ(長さの単位・一ガーヴタは牛の鳴き声が届く距離)〔の高さ〕ある、優美なる塔がある。ということで――

 カクサンダ世尊の伝統が、第二十二となる。

25 コーナーガマナ覚者の伝統

1.(929) カクサンダの後に、最上の二足者たる正覚者として、コーナーガマナという名の勝者が、世の最尊者たる方として、人のなかの雄牛たる方として、〔世に生起した〕。

2.(930) 十の法(性質)を円満して、難所を超え行った。一切の垢を流し去って、最上の正覚を得た者として。

3.(931) 〔世の〕導き手たるコーナーガマナが、法(真理)の輪を転起させているとき、三十の千の千万の者たちに、第一の〔法の〕知悉が有った。

4.(932) さらには、他論の撃破において、神変を為しているとき、二十の千の千万の者たちに、第二の〔法の〕知悉が有った。

5.(933) そののち、変異を為して、デーヴァの都に赴いた勝者は、そこにおいて、正覚者として住む――玉〔坐〕のなか、黄の毛布のうえに。

6.(934) 七つの論書を説示しながら、その牟尼は、雨期を過ごす。十の千の千万の者たちに、第三の〔法の〕知悉が有った。

7.(935) その天の天たる方にもまた、一つの集まりが存した。煩悩の滅尽者たちのために、〔世俗の〕垢を離れる者たちのために、寂静心の者たちのために、如なる者たちのために。

8.(936) そのとき、三十の千の比丘たちのために、集いが存した。〔四つの〕激流を超え行った者たちのために、さらには、死魔を破り去った者たちのために。

9.(937) その時のこと、わたし(ゴータマ・ブッダ)は、パッバタという名の士族として、〔世に生起した〕。朋友や僚友を伴った、無終なる力をもたらす者として。

10.(938) 正覚者に相見“まみ”えるために赴いて、無上なる法(教え)を聞いて、勝者と共に僧団を招いて、求めるままに、布施を施して――

11.(939) 毛織物を、しかして、チーナ(支那)の布を、絹を、さらには、毛布をもまた、まさしく、しかして、黄金の履物を、〔世の〕教師と弟子たちに施した。

12.(940) 僧団の中央に坐して、その覚者もまた、わたしのことを予言した。「この幸いなるカッパにおいて、この者は、覚者と成るであろう。

13.(941) ああ、カピラという呼び名ある喜ばしき〔都〕から……略……。〔わたしたちは〕この方(ゴータマ・ブッダ)の面前に有るでしょう」〔と〕。

14.(942) 彼の言葉を聞いて、さらに、より一層、〔わたしは〕心を清めた。十の最奥義の円満のために、より以上に、掟を確立した。

15.(943) 一切知者たることを求めつつ、最上の人たる方にたいし、布施を施して、わたしは、大いなる王国を捨棄して、勝者の現前において出家した。

16.(944) 〔コーナーガマナ覚者が生を受けた〕城市は、ソーバティーという名であり、〔彼は〕ソーバという名の士族として、〔世に〕存した。正覚者の大いなる家系は、そこにおいて、〔まさに、その〕城市のうちに住む。

17.(945) しかして、婆羅門ヤンニャダッタが、彼が、覚者の父として存した。ウッタラーという名の生む者が〔母として有った〕――〔世の〕教師たるコーナーガマナには。

18.(946) 三の千年のあいだ、彼は、家に止まり住んだ。トゥシタ、サントゥシタ、サントゥッタ〔という名〕の三つの最上の高楼が〔有った〕。

19.(947) 欠くことなく十六の千の〔装いを〕十二分に作り為した女たちが〔有った〕。ルチガッターという名の女が〔妻として〕、サッタヴァーハという名の者が実子として〔有った〕。

20.(948) 四つの形相を見て、象を乗物に〔家を〕出た。六月のあいだ、最上の人士たる方は、〔刻苦〕精励の行を歩んだ。

21.(949) 梵〔天〕に乞い求められた者として存しつつ、〔世の〕導き手たるコーナーガマナは、偉大なる勇者は、〔法の〕輪を転起させた――ミガダーヤにおいて、最上の人たる方として。

22.(950) ビッヤサが、ウッタラという名の者が、至高の弟子たちとして有った。ソッティジャという名の者が、奉仕者として〔有った〕――〔世の〕教師たるコーナーガマナには。

23.(951) サムッダーが、まさしく、ウッタラーとが、至高の女弟子たちとして有った。その世尊の菩提〔樹〕は、「ウドゥンバラ」と呼ばれる。

24.(952) ウッガと、ソーマデーヴァとが、至高の奉仕者たちとして有った。まさしく、シーヴァラーと、サーマーとが、至高の女奉仕者たちとして有った。

25.(953) その覚者は、高さにして、三十ハッタ(長さの単位・一ハッタは約五十センチ)の高さあり、溶炉の口のなかの〔黄金の〕円環のように、このように、諸々の光によって装飾された方として、〔世に有った〕。

26.(954) 三十の千年のあいだ、まさしく、そのあいだ、覚者には、寿命が〔見い出される〕。彼は、〔世に〕止まり住んでいる、それまでのあいだに、多くの人民を〔彼岸へと〕超え渡した。

27.(955) 法(教え)の衣装で飾り立てられた、法(教え)の塔廟を積み上げて、法(教え)の花環を作り為して、彼は、弟子と共に、涅槃に到達した者となる。

28.(956) 彼の、大いなる美麗の人々が、吉祥なる法(教え)の明示が、その全てが消没した。一切の形成〔作用〕は、まさに、空虚なるものではないか。

29.(957) 正覚者たるコーナーガマナは、パッバタ聖園において、涅槃に到達した者となる。そこかしこの地域において、遺物(遺骨)は拡張し、〔世に〕存した。ということで――

 コーナーガマナ世尊の伝統が、第二十三となる。

26 カッサパ覚者の伝統

1.(958) コーナーガマナの後に、最上の二足者たる正覚者として、姓としてはカッサパという名の方が、法(真理)の王たる方として、光の作り手たる方として、〔世に生起した〕。

2.(959) 家の根元〔の財物〕を捨て放ち、多くの食べ物と飲み物と食料を〔捨て放ち〕、布施として、乞い求める者にたいし施して、意を円満して、雄牛のように、杭を壊し去って、最上の正覚を得た者として。

3.(960) 〔世の〕導き手たるカッサパが、法(真理)の輪を転起させているとき、二十の千の千万の者たちに、第一の〔法の〕知悉が有った。

4.(961) 覚者が、四月のあいだ、世において、遊行〔の旅〕を歩むとき、十の千の千万の者たちに、第二の〔法の〕知悉が有った。

5.(962) 対なる変異を為して、知恵の界域を述べ伝えた〔とき〕、五の千の千万の者たちに、第三の〔法の〕知悉が有った。

6.(963) 喜ばしき天の都のスダンマーにおいて、そこにおいて、法(教え)を述べ伝えた〔とき〕、勝者は、三の千の千万の天〔の神々〕たちを覚らせた。

7.(964) 人と天〔の神〕のための、夜叉のための、他の法(教え)の説示においては、これらの者たちの〔法の〕知悉は、数〔の観点〕からは数えようもない。

8.(965) その天の天たる方にもまた、一つの集まりが存した。煩悩の滅尽者たちのために、〔世俗の〕垢を離れる者たちのために、寂静心の者たちのために、如なる者たちのために。

9.(966) そのとき、二十の千の比丘たちのために、集いが存した。生存の終極を超え行った者たちのために、恥〔の思い〕と戒〔の力〕によって如なる者たちのために。

10.(967) その時のこと、わたし(ゴータマ・ブッダ)は、「ジョーティパーラ」という〔世に〕聞こえた学徒として、〔世に生起した〕。〔聖典の〕読誦者にして呪文の保持者として、三つのヴェーダの奥義に至る者として。

11.(968) 特相(占相術)において、かつまた、古伝において、自らの法(教え)において、最奥義に至った者として。地上と空中のことに巧みな智ある者として、明知を為した者として、衰微なき者として。

12.(969) カッサパ世尊には、ガティーカーラという名の奉仕者が〔有った〕。尊重〔の思い〕を有し敬虔〔の思い〕を有する者であり、第三の果(不還果)において、涅槃に到達した者となる。

13.(970) ガティーカーラは、わたしを携えて、勝者たるカッサパのもとへと近づき行った。彼の法(教え)を聞いて、〔わたしは〕彼の現前において出家した。

14.(971) 精進に励む者と成って、種々の行持における熟知者として、どこにおいても、衰退することなく、勝者の教えを円満した。

15.(972) 覚者によって語られたものであるかぎりの、九つの支分ある勝者の教えを、〔その〕全てを、完全に学び取って、勝者の教えを荘厳した。

16.(973) わたしの稀有なる〔精進〕を見て、その覚者もまた、〔わたしのことを〕予言した。「この幸いなるカッパにおいて、この者は、覚者と成るであろう。

17.(974) ああ、カピラという呼び名ある喜ばしき〔都〕から出て、如来は、〔刻苦の〕精励を精励して、為すに為し難きことを為して――

18.(975) アジャパーラ樹の根元に坐して、如来は、そこにおいて、粥を受けて、ネーランジャラー〔川〕へと近づき行くであろう。

19.(976) ネーランジャラー〔川〕の岸辺で、粥を食して、〔見事に〕整備された優美なる道をとおり、菩提〔樹〕の根元へと近づき行くであろう。

20.(977) そののち、菩提道場に右回り〔の礼〕を為して、無上なる者は、敗れることなき場たる最上の菩提結跏において、結跏で坐して、偉大なる福徳ある者として、覚るであろう。

21.(978) この者の生みの母は、マーヤーという名の者と成るであろう。父は、スッドーダナという名の者と〔成るであろう〕。この者〔の姓〕は、ゴータマと成るであろう。

22.(979) 煩悩なく、貪欲を離れ、寂静心の者たちにして、〔心が〕定められた者たち、コーリタ(マハーモッガッラーナ)、および、ウパティッサ(サーリプッタ)が、至高の弟子たち(二大弟子)と成るであろう。アーナンダという名の奉仕者(侍者)が、この勝者に奉仕するであろう。

23.(980) ケーマー、および、ウッパラヴァンナーが、至高の女弟子たちと成るであろう。煩悩なく、貪欲を離れ、寂静心の者たちにして、〔心が〕定められた者たちとして。その世尊の菩提〔樹〕は、『アッサッタ』と呼ばれる。

24.(981) チッタ、および、ハッターラヴァカが、至高の奉仕者たちと成るであろう。ナンダの母、および、ウッタラーが、至高の女奉仕者たちと成るであろう」〔と〕。

25.(982) 同等の者なき方(カッサパ)の、偉大なる聖賢の、この言葉を聞いて、歓喜した人や神たちは〔言った〕。「この方(ゴータマ・ブッダ)は、まさに、覚者の種子です」〔と〕。

26.(983) 諸々の叫喚の音声が転起する。〔彼らは〕拍手し、かつまた、笑喜する。十千〔世界〕の天〔の神々〕を含む者たちは、合掌を為し、礼拝する。

27.(984) 「世の主たるこの方(カッサパ)の教えを、〔わたしたちが〕亡失することになる、というのなら、未来の時において、〔わたしたちは〕この方(ゴータマ・ブッダ)の面前に有るでしょう。

28.(985) 川を超え渡っている人間たちが、対岸を亡失して〔そののち〕、下流の渡し場を収め取って、大河を超え渡るように(場を変えて渡河するように)――

29.(986) まさしく、このように、わたしたちの全てが、この勝者を逸し去る、というのなら、未来の時において、〔わたしたちは〕この方の面前に有るでしょう」〔と〕。

30.(987) 彼の言葉を聞いて、さらに、より一層、〔わたしは〕心を清めた。十の最奥義の円満のために、より以上に、掟を確立した。

31.(988) わたしは、このように輪廻して、〔正しい〕行状ならざるものを遍く避けながら、しかして、わたしにとって為し難きことが為された。まさしく、覚りのために、契機たることから。

32.(989) 〔カッサパ覚者が生を受けた〕城市は、バーラーナシーという名であり、〔彼は〕キキンという名の士族として、〔世に〕存した。正覚者の大いなる家系は、そこにおいて、〔まさに、その〕城市のうちに住む。

33.(990) まさしく、婆羅門ブラフマダッタが、彼が、覚者の父として存した。ダナヴァティーという名の生む者が〔母として有った〕――偉大なる聖賢たるカッサパには。

34.(991) 二の千年のあいだ、彼は、家に止まり住んだ。ハンサ、ヤサ、シリナンダ〔という名〕の三つの最上の高楼が〔有った〕。

35.(992) 三の十六の千(四万八千)の〔装いを〕十二分に作り為した女たちが〔有った〕。スナンダーという名のその女が〔妻として〕、ヴィジタセーナという名の者が実子として〔有った〕。

36.(993) 四つの形相を見て、高楼をとおり〔家を〕出た。七日のあいだ、最上の人士たる方は、〔刻苦〕精励の行を歩んだ。

37.(994) 梵〔天〕に乞い求められた者として存しつつ、〔世の〕導き手たるカッサパは、偉大なる勇者は、〔法の〕輪を転起させた――ミガダーヤにおいて、最上の人たる方として。

38.(995) ティッサと、バーラドヴァージャとが、至高の弟子たちとして有った。サッバミッタという名の者が、奉仕者として〔有った〕――偉大なる聖賢たるカッサパには。

39.(996) アヌラー、および、ウルヴェーラーが、至高の女弟子たちとして有った。その世尊の菩提〔樹〕は、「ニグローダ」と呼ばれる。

40.(997) スマンガラ、および、ガティーカーラが、至高の奉仕者たちとして有った。ヴィチタセーナー、および、バッダーが、至高の女奉仕者たちとして有った。

41.(998) その覚者は、高さにして、二十ラタナ(長さの単位・一ラタナは約五十センチ)の高さあり、虚空における雷杖のように、家の満ちた月のように、〔世に有った〕。

42.(999) 二十の千年のあいだ、その偉大なる聖賢には、寿命が〔見い出される〕。彼は、〔世に〕止まり住んでいる、それまでのあいだに、多くの人民を〔彼岸へと〕超え渡した。

43.(1000) 法(教え)の池を造作して、戒の香料を施して、法(教え)の衣装を着衣して、法(教え)の花飾りを区分して――

44.(1001) 〔世俗の〕垢を離れる法(教え)の鏡を、大勢の人のうちに据え置いて、「誰であれ、涅槃を切望している者たちは、わたしが十分に作り為すものを見よ」〔と〕――

45.(1002) 戒の鎧を施して、瞑想の鎧の武装を〔為して〕、法(教え)の皮〔衣〕を包着して、最上の甲冑を施して――

46.(1003) 気づきの楯を施して、この鋭敏なる知恵の鉾を〔施して〕、法(教え)の優れた剣を施して、戒によって〔世俗との〕交わりの撃破を〔為して〕――

47.(1004) 三つの明知の飾りを施して、四つの果を頭飾と〔為して〕、六つの神知の瓔珞を施して、法(教え)の花の飾りものを〔施して〕――

48.(1005) 悪しきを防護する正なる法(真理)の白き傘蓋を施して、恐怖なき〔境地〕の花を造作して、彼は、弟子と共に、涅槃に到達した者となる。

49.(1006) まさに、この正自覚者は、〔雄牛の如く〕量るべくもなく〔獅子の如く〕近づき難き方である。まさに、この法(教え)の宝は、見事に告げ知らされたものにして〔現に〕来て見るものである。

50.(1007) まさに、この僧団の宝は、善き実践者にして無上なるものである。その全てが消没した。一切の形成〔作用〕は、まさに、空虚なるものではないか。

51.(1008) 勝者にして〔世の〕教師たるマハーカッサパは、セータブヤ聖園において、涅槃に到達した者となる。まさしく、そこに、彼の、〔一〕ヨージャナの高さに盛り上がる、勝者の塔がある。ということで――

 カッサパ世尊の伝統が、第二十四となる。

27 ゴータマ覚者の伝統

1.(1009) わたしは、今現在、正覚者として、サキャ〔族〕の増大者たるゴータマとして、〔刻苦の〕精励を精励して、最上の正覚を得た者として、〔世に有る〕。

2.(1010) 梵〔天〕に乞い求められた者として存しつつ、〔法の〕輪を転起させた。十八の千万の者たちに、第一の〔法の〕知悉が有った。

3.(1011) そののち、他にも、人と天〔の神〕の集いにおいて、〔法を〕説示しているとき、数をもっては説かれようのないものとして、第二の〔法の〕知悉が有った。

4.(1012) まさしく、ここに、わたしは、今現在、わたしの実子を教え諭したが、数をもっては説かれようのないものとして、第三の〔法の〕知悉が有った。

5.(1013) わたしには、一つの集まりが存した。大いなる聖賢たる弟子たちのために。十二箇半の百(千二百五十)の比丘たちのために、集いが存した。

6.(1014) 〔世俗の〕垢を離れる者として、〔十千世界を〕遍照しながら、比丘の僧団の中央に在する〔わたし〕は、一切の欲望〔の対象〕を与えてくれる宝珠のように、一切の切望されたものを、〔人々に〕与える。

7.(1015) 果を望んでいる者たちのために、生存にたいする欲〔の思い〕の捨棄を求める者たちのために、慈しみ〔の思い〕によって、生ある者たちのために、四つの真理を明示する。

8.(1016) 十の、二十の、千の者たちに、法(真理)の知悉が有った。一者の、二者の、〔法の〕知悉は、数〔の観点〕からは数えようもない。

9.(1017) 拡張し、多く知られ、実現し、繁栄し、見事に花ひらき、ここに、サキャ〔族〕の牟尼たるわたしの教えは、善く清められたものとして、〔世に有る〕。

10.(1018) 煩悩の滅尽者たちとなり、〔世俗の〕垢を離れる者たちとなり、寂静心の者たちとなり、〔心が〕定められた者たちとなり、幾百の比丘たちが、〔その〕全てが、常に、わたしを取り囲む。

11.(1019) 彼らは、今や、今現在、人間の生存を捨棄する。〔いまだ涅槃の〕意を得ていない、学びある者(有学)たちであるなら、それらの比丘たちは、識者たちに非難される者たちと〔成る〕。

12.(1020) しかして、聖なる〔真理〕を賛嘆しながら、常に、法(教え)に喜びある人たちは、気づきある者たちは、〔未来において〕覚るであろう――輪廻の流れに赴くも。

13.(1021) わたしが〔生を受けた〕城市は、カピラヴァットゥ。父は、スッドーダナ〔という名〕の王。わたしの生みの母は、「マーヤーデーヴィー」と呼ばれる。

14.(1022) 二十九年のあいだ、わたしは、家に止まり住んだ。ランマ、スランマ、スバカ〔という名〕の三つの最上の高楼が〔有った〕。

15.(1023) 四十の千の〔装いを〕十二分に作り為した女たちが〔有った〕。バッダカンチャナー(ヤソーダラー)という名の女が〔妻として〕、ラーフラという名の者が実子として〔有った〕。

16.(1024) 四つの形相を見て、馬を乗物に〔家を〕出た。六年のあいだ、わたしは、為し難き〔刻苦〕精励の行を歩んだ。

17.(1025) バーラーナシーのイシパタナにおいて、わたしによって、法(真理)の輪が転起させられた。わたしは、ゴータマ正覚者として、全ての生ある者たちの帰依所となる。

18.(1026) コーリタ(マハーモッガッラーナ)、および、ウパティッサ(サーリプッタ)が、〔これらの〕二者の比丘が、至高の弟子たちである。アーナンダという名の者が、わたしの側近くある奉仕者である。ケーマー、および、ウッパラヴァンナーが、〔これらの二者の〕比丘尼が、至高の女弟子たちである。

19.(1027) チッタ、および、ハッターラヴァカが、〔これらの二者の〕在俗信者が、至高の奉仕者たちである。ナンダの母、および、ウッタラーが、〔これらの二者の〕女性在俗信者が、至高の女奉仕者たちである。

20.(1028) わたしは、アッサッタ〔樹〕の根元において、最上の正覚を得た者であり、わたしには、常に、〔一〕ヴヤーマ(尋:長さの単位・一ヴヤーマは約二メートル)の光があり、十六ハッタ(長さの単位・一ハッタは約五十センチ)の高さとなる。

21.(1029) 僅か、百年の寿命が、今や、今現在、見い出される。わたしは、〔世に〕止まり住んでいる、それまでのあいだに、多くの人民を〔彼岸へと〕超え渡す。

22.(1030) 後の人を覚らせるものとして、法(真理)の松明を据え置いて、わたしもまた、まさしく、長からずして、弟子の僧団と共に、まさしく、ここに、完全なる涅槃に到達するであろう――火が、食(燃料)の消滅あることから、〔消え行く〕ように。

23.(1031) それらの無比なる威光も、これらの十の力も、三十二の優れた特相を種々様々な〔彩り〕とし、〔優れた〕徳を保持する、この肉身“からだ”も――

24.(1032) 六つの光ある百光のように、十方を照らして〔そののち〕、その全てが消没するであろう。一切の形成〔作用〕は、まさに、空虚なるものではないか。ということで――

 ゴータマ世尊の伝統が、第二十五となる。

28 覚者たちについての雑駁なる〔言説〕の部

1.(1033) これよりまえ、量るべくもないカッパにおいて、四者の〔世の〕導き手が、〔世に〕存した。タンハンカラ、メーダンカラ、しかして、また、サラナンカラ、さらには、正覚者たるディーパンカラが、彼らが、〔同じ〕一つのカッパにおける勝者たちとして。

2.(1034) ディーパンカラの後に、コンダンニャという名の〔世の〕導き手が、〔世に存した〕。一つのカッパにおける、まさしく、一者〔の覚者〕として、多くの人民を〔彼岸へと〕超え渡した。

3.(1035) ディーパンカラ世尊、および、コンダンニャ教師の、これら〔の二者の覚者〕の、中途における諸々のカッパは、数〔の観点〕からは数えようもない。

4.(1036) コンダンニャの後に、マンガラという名の〔世の〕導き手が、〔世に存した〕。彼らの、中途における諸々のカッパもまた、数〔の観点〕からは数えようもない。

5.(1037) マンガラと、スマナと、レーヴァタ、ソービタ牟尼が、彼らもまた、〔同じ〕一つのカッパにおける覚者たちとして、眼ある方たちとして、光の作り手たる方たちとして。

6.(1038) ソービタの後に、偉大なる福徳ある方たるアノーマダッシンが、〔世に存した〕。彼らの、中途における諸々のカッパもまた、数〔の観点〕からは数えようもない。

7.(1039) アノーマダッシン、パドゥマ、さらには、また、〔世の〕導き手たるナーラダが、彼らもまた、〔同じ〕一つのカッパにおける覚者たちとして、闇の終極を作り為す方たちとして、牟尼たちとして。

8.(1040) ナーラダの後に、パドゥムッタラという名の〔世の〕導き手が、〔世に存した〕。一つのカッパにおいて生起した〔覚者〕として、多くの人民を〔彼岸へと〕超え渡した。

9.(1041) ナーラダ世尊とパドゥムッタラ教師の、彼らの、中途における諸々のカッパもまた、数〔の観点〕からは数えようもない。

10.(1042) 百千カッパにおいて、一者の偉大なる牟尼が、〔世に〕存した。世〔の一切〕を知る方たるパドゥムッタラが、諸々の捧げものの納受者たる方として。

11.(1043) 三十の千カッパにおいて、二者の〔世の〕導き手が、〔世に〕存した。スメーダと、スジャータとが、パドゥムッタラの後から。

12.(1044) 十八の百カッパにおいて、三者の〔世の〕導き手が、〔世に〕存した。ピヤダッシン、アッタダッシン、および、ダンマダッシンが、〔世の〕導き手たちとして。

13.(1045) しかして、スジャータの後から、正覚者たちとして、最上の二足者たる方たちとして、〔同じ〕一つのカッパにおいて、それらの覚者たちが、世において、対する人なき方たちとして。

14.(1046) これよりまえ、九十四カッパにおいて、一者の偉大なる牟尼が、〔世に〕存した。シッダッタが、彼が、世〔の一切〕を知る方として、〔毒〕矢の治癒者たる方として、無上なる方として。

15.(1047) これよりまえ、九十二カッパにおいて、二者の〔世の〕導き手が、〔世に〕存した。ティッサ、および、プッサが、正覚者たちとして、同等の者なく対する人なき方たちとして。

16.(1048) これよりまえ、九十一カッパにおいて、ヴィパッシンという名の〔世の〕導き手が、〔世に存した〕。その覚者もまた、慈悲ある方として、有情たちを結縛から解き放った。

17.(1049) これよりまえ、三十一カッパにおいて、二者の〔世の〕導き手が、〔世に〕存した。シキンと、まさしく、ヴェッサブーとが、同等の者なく対する人なき方たちとして。

18.(1050) この幸いなるカッパにおいて、三者の〔世の〕導き手が、〔世に〕存した。カクサンダ、コーナーガマナ、さらには、また、〔世の〕導き手たるカッサパが。

19.(1051) わたしは、今現在、正覚者として、〔世に存している〕。さらには、また、メッテイヤ(彌勒)が、〔未来において、覚者と〕成るであろう。これらの五者の覚者たちは、これらの者たちもまた、慧者たちであり、世〔の人々〕を慈しむ者たちである。

20.(1052) これらの法(真理)の王たちの、他の幾千万の〔法の王〕たちの、その道を告げ知らせて、彼らは、弟子と共に、涅槃に到達した者たちとなる。ということで――

 散在する覚者の部は、〔以上で〕終了した。

29 遺物(遺骨)の細別についての言説

1.(1053) 偉大なるゴータマは、優れた勝者たる方は、クシナーラーにおいて、涅槃に到達した者となる。そこかしこの地域において、遺物(遺骨)は拡張し、〔世に〕存した。

2.(1054) 一つは、アジャータサットゥ(阿闍世)のために。一つは、ヴェーサーリーの都において。一つは、カピラヴァットゥにおいて。しかして、一つは、アッラカッパカにおいて。

3.(1055) しかして、一つは、ラーマ村において。しかして、一つは、ヴェータディーパカにおいて。一つは、パーヴァーに属するマッラにおいて。しかして、一つは、コーシナーラカにおいて。

4.(1056) ドーナという呼び名を有する婆羅門は、〔遺物を収めた〕瓶のための塔を作らせた。モーリヤ〔族〕の者たちは、満足の意ある者たちとなり、〔燃え残りの〕炭のための塔を作らせた。

5.(1057) 八つの舎利(遺骨)の塔が、第九に瓶の塔が、第十に炭の塔が、まさしく、そのとき、立てられた。

6.(1058) 肉髻、四つの歯、および、二つの鎖骨、これらの七つの遺物が、混物“まざりもの”なしのものとしてあり、諸々の残りの遺物が、まさしく、細別されたものとしてある。

7.(1059) しかして、諸々の大なるものとしては、豆ほどのものがあり、諸々の中なるものとしては、細別された米〔ほどのもの〕があり、しかして、諸々の小なるものとしては、芥子ほどのものがあり、しかして、種々なる色艶の諸々の遺物がある。

8.(1060) しかして、諸々の大なるものとしては、黄金の色艶あるものがあり、しかして、諸々の中なるものとしては、真珠の色艶あるものがあり、しかして、諸々の小なるものとしては、〔花の〕蕾の色艶あるものがあり、十六ドーナ(容積の単位・一ドーナは枡桶の量)の泥土がある。

9.(1061) 諸々の大なるものとしては、五ナーリ(容積の単位・一ナーリは一枡の量)のものがあり、諸々の中なるものとしては、五ナーリのものがあり、まさしく、しかして、諸々の小なるものとしては、六ナーリのものがあり、これらは、〔その〕全てでさえもが、諸々の遺物となる。

10.(1062) 肉髻は、シーハラ(スリランカ)島において、しかして、左の〔鎖骨〕は、梵世において、しかして、右の鎖骨は、シーハラにおいて、これら〔の遺物〕は、〔その〕全てでさえもが、〔供養の塔が〕立てられた。

11.(1063) 一つの歯は、三十三〔天〕において、一つ〔の歯〕は、龍の都において、〔供養するところと〕成った。一つ〔の歯〕は、ガンダーラの境域において、一つ〔の歯〕は、カリンガ王の〔都において、供養するところと成った〕。

12.(1064) 四十の等しき歯、諸々の髪、および、諸々の毛は、全てにあまねく、天〔の神々〕たちが、一つ一つを持ち去った――チャッカ・ヴァーラ(輪囲山・鉄囲山:世界の周辺にあって世界を囲んでいる山)より、相次いで。

13.(1065) 世尊の、この金剛の鉢、および、杖、衣料、下着は、家系の家において、敷物は、カピラという呼び名〔の都〕において――

14.(1066) 水瓶、身を縛る〔帯〕は、パータリプッタの都において、水浴衣は、チャンパー〔の都〕において、しかして、白毫は、コーサラ〔国〕において――

15.(1067) しかして、袈裟は、梵世において、頭巾は、三十三〔天〕の都において、そのとき、坐具、敷物は、アヴァンティの国土において――

16.(1068) しかして、火起こしは、ミティラー〔の城市〕において、濾過器は、ヴィデーハ〔国〕において、そのとき、鉈、さらには、また、針箱は、インダパッタの都において――

17.(1069) 残余の必需品は、アパランタの地方において、そのとき、人間たちは、牟尼によって受益された諸々のものを、〔供養するところと〕為した。

18.(1070) 偉大なる聖賢たるゴータマの、遺物の拡張(遺骨の分配)が、〔かくのごとく〕存した。生ある者たちのために、慈しみ〔の思い〕によって、〔それは〕有った――過去のこととして、そのとき。ということで――

 ブッダヴァンサ聖典は、〔以上で〕終了した。







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